2026-08-16

連載「天皇と靖国神社第2回(全7回)

昭和天皇はなぜ参拝しなくなったのか

昭和天皇はなぜ参拝しなくなったのか ―― 富田メモだけでは語れない背景

昭和天皇は、戦後、靖国神社を参拝されていました。しかし、1975年を最後に、その親拝(しんぱい)は途絶えます

一般には、「1978年のA級戦犯合祀が理由」と説明されます。けれど、時系列をていねいに並べると、その説明だけでは語りきれない事実が見えてきます。この記事では、富田メモを入口としながら、参拝が途絶えた背景を、冷静に考えます。


昭和天皇は、何回親拝されたのか

まず、事実の確認からです。昭和天皇は、戦後、靖国神社を8度にわたって親拝されました。そして、その最後が、1975年(昭和50年)11月でした。

この回数は、国会でも確認されています。1986年3月の衆議院予算委員会第一分科会では、「天皇が戦後も八回靖国神社へ御参拝……一回は単独で、七回は皇后様と御一緒にお参りになっている」と述べられました。また2025年3月の衆議院厚生労働委員会でも、「天皇陛下が靖国神社に御親拝した最後は昭和五十年、一九七五年。以来、御親拝は途絶えております」と確認されています。

ここで、言葉を一つ整理します。「親拝」とは、天皇ご自身が参拝されることを指します。一般の方が参拝する「一般参拝」とは、区別して使われます。この記事で問題にするのは、天皇ご自身による親拝が、なぜ途絶えたのか、という点です。


1978年、A級戦犯の合祀

次に、もう一つの重要な出来事です。1978年(昭和53年)10月、靖国神社に、いわゆるA級戦犯が合祀されました。

このとき、合祀を判断したのは、宗教法人である靖国神社でした。国が命じたものではありません。この点は、政府も国会で明言しています。

戦犯も含めだれを合祀するかということにつきましてはあくまで靖国神社の判断でございまして、厚生省からの調査、回答を受けて靖国神社がどのような経緯で戦犯を合祀されたかということは必ずしも明らかでございません。 ――厚生省援護局庶務課長、1986年10月22日 衆議院・法務委員会

そして、もう一つ大切な事実があります。合祀は、すぐには知られませんでした。 この事実が広く報じられるのは、1979年(昭和54年)4月19日の朝日新聞・サンケイ新聞の朝刊です。合祀から、半年後のことでした。


富田メモの公開

そして、時代は下って2006年(平成18年)。日本経済新聞が、富田メモを報じます。

このメモは、昭和天皇が靖国参拝について語ったとされる内容を含み、「A級戦犯の合祀への不快感」として、大きく受け止められました。富田メモそのものの中身や、その読み方をめぐる複数の解釈については、「富田メモとは何か」で詳しく整理しています。この記事では繰り返しません。


一般的な解釈

富田メモの報道以来、広く知られてきたのが、「A級戦犯の合祀が、参拝が途絶えた理由である」という解釈です。

これは、今では、最も一般的な受け止め方だといえます。ただし、この記事では、それを断定はしません。「そのような解釈が広く知られている」という事実を押さえたうえで、もう一歩、踏み込んでみます。


富田メモだけでは説明できない、時系列の空白

ここが、この記事の一番のポイントです。三つの出来事を、時系列に並べてみましょう。

  • 1975年11月 ―― 昭和天皇、最後の親拝
  • 1978年10月 ―― A級戦犯の合祀
  • 2006年 ―― 富田メモの報道

時系列で見る ―― 最後の親拝と、A級戦犯合祀

気づくことがあります。昭和天皇が最後に親拝したのは1975年。A級戦犯の合祀は、その3年後の1978年です。つまり、天皇が最後に参拝されたのは、合祀よりも前だったのです。

「合祀が理由で参拝をやめた」とすると、この3年間の空白を、どう考えればよいのでしょうか。すでに1975年を最後に親拝は途絶えており、その後に合祀が起きた――という順序になります。もちろん、「合祀を知って、以後も参拝を再開しなかった」と読むことはできます。それでも、「合祀の日を境に、ぴたりと参拝をやめた」という単純な図式ではないことは、時系列から明らかです。

さらに、先に見たとおり、合祀が世に知られたのは1979年4月でした。合祀そのものからも半年が経っています。時間の流れは、思われているよりも入り組んでいます。

さらに、当時の宮内庁と靖国神社との関係、社会の情勢など、背景にはさまざまな要素があったと考えられます。参拝が途絶えた理由を、たった一つの出来事だけで説明することには、慎重であるべきなのです。


現在も、結論は出ていない

昭和天皇が親拝を取りやめた理由について、宮内庁などから公式な説明はありません

歴史研究の場でも、複数の説があり、一つに定まってはいません。新たな一次資料が見つからない限り、断定するのは難しい――それが、正確な現状です。


筆者の考え

ここからは、筆者の考えです。

筆者は、「昭和天皇はA級戦犯が嫌だったから参拝をやめた」と、単純に説明してしまうのは、適切ではないと考えています。

確かに、富田メモは重要な歴史資料です。けれど、それだけで昭和天皇の真意を断定することはできません。そして、昭和天皇が最後に親拝されたのは1975年、A級戦犯の合祀は1978年です。この時系列の空白を、どう考えるのか。ここは、避けて通れない論点だと思います。

筆者は、歴史を理解するうえでは、一つの資料だけを見るのではなく、時系列や、当時の社会情勢、関係者の証言などを総合して考える姿勢が大切だと考えています。分からないことを、分からないまま、ていねいに置いておく。それも、歴史に向き合う一つの誠実さではないでしょうか。


まとめ

  • 昭和天皇は戦後8度、靖国神社を親拝し、最後は1975年11月だった(国会でも確認されている)。
  • A級戦犯の合祀は1978年10月で、参拝が途絶えた3年後の出来事。
  • 🔴 合祀を決めたのは靖国神社であり、国ではない(政府答弁)。世に知られたのは1979年4月で、合祀から半年後だった。
  • 富田メモは「合祀への不快感」として受け止められたが、それだけで真意は断定できない。
  • 最後の親拝(1975年)と合祀(1978年)の時系列の空白を、どう考えるかが論点。
  • 参拝取りやめの理由に公式な説明はなく、歴史研究でも結論は出ていない。

歴史は、一つの資料だけではなく、複数の史料を総合して理解する。その姿勢が大切です。


参考・出典