天皇は政治を語らないのか ―― そうなったのは、いつからか
2026-07-05

「天皇は、政治を語らないもの」。多くの人が、そう思っています。確かに、今の天皇陛下が、特定の政策の賛否を述べられることは、ありません。
けれど、これは昔から、ずっとそうだったのでしょうか。実は、長い歴史をふり返ると、必ずしもそうではありません。
今回は、「天皇と政治」の関係が、時代とともにどう変わってきたのかを、たどってみます。政治的な主張ではなく、歴史と制度の話として読んでいただければと思います。
天皇は、昔から政治を語らなかったのか
私たちは、つい「天皇は、政治の外にいる存在」だと思いがちです。
けれど、結論を先に言えば、それは――長い歴史のなかで、少しずつ、わりと最近になって形づくられてきた姿なのです。古代や中世の天皇は、むしろ政治の中心にいました。
古代・中世の天皇は、政治を行っていた
歴史をさかのぼると、天皇が、自ら政治を動かした時代が、いくつもあります。
- 天武天皇……律令国家の土台を築いた、強い指導力をもつ天皇。
- 桓武天皇……平安京への遷都を行い、政治を主導した。
- 後醍醐天皇……鎌倉幕府を倒し、天皇みずから政治を行う「建武の新政」をめざした。
また、平安時代の後期からは、院政(いんせい)――天皇の位を譲った上皇が、実際の政治を動かす仕組み――も生まれました。白河上皇が1086年に始めたのが、その最初とされます。
このように、かつての天皇(や上皇)は、政治の「外」ではなく、「中心」にいることも、めずらしくなかったのです。

明治憲法の天皇は「統治権の総攬者」
時代が下って、明治。大日本帝国憲法(明治憲法)が定められます。
そこでの天皇は、国の元首であり、「統治権の総攬者(とうちけんのそうらんしゃ)」とされました(第4条)。国を治める権限が、天皇のもとに集まる、という建前です。
ただし、ここが大事なところです。実際の運用は、少し違いました。 政治の決定は、大臣たちが行い、その責任も大臣が負う。天皇は、それを最終的に「裁可(さいか)」する、という仕組みでした(大臣による「輔弼(ほひつ)」)。
つまり、憲法の文言は「総攬者」でも、運用のうえでは、天皇が日常的に政治判断をくだすことは、避けられていたのです。

昭和天皇と、張作霖爆殺事件
この「天皇は、自分から政治判断に踏み込まない」という姿勢を、強く決定づけた出来事があります。張作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつじけん)です。
1928年(昭和3年)、中国・満州で、日本の陸軍(関東軍)の一部――高級参謀の河本大作(こうもとだいさく)大佐が中心となって、独断で、中国の指導者・張作霖を爆殺しました。
当初、田中義一首相は、昭和天皇に「関係者を厳しく処分する」と申し上げました。ところが、その後、内閣のなかで異論が出て、結局、うやむやに処理する方向へと変わってしまいます。
話が違う――。昭和天皇は、田中首相に、強い不満を示されました。「前に言ったことと違うではないか」という趣旨の、厳しいお言葉だったと伝えられます。やがて、田中内閣は総辞職しました(1929年7月)。
この一件を、昭和天皇は後年、「自分の若気(わかげ)の至りだった」という趣旨で、ふり返っておられます(『昭和天皇独白録』。一語一句そのままの記録ではないため、趣旨として紹介します)。
そして、この経験ののち、昭和天皇は、たとえご自分の考えと違っても、内閣が決めて上奏したことには、異を唱えず裁可する――という、立憲君主としての姿勢を、より強くされた、とされています。

戦後、何が変わったのか
大きく変わったのは、戦後です。
1946年に公布された日本国憲法は、その第4条で、こう定めました。
天皇は、(…)国政に関する権能を有しない。
明治憲法の「統治権の総攬者」から、「国政に関する権能を有しない」へ。ここで初めて、天皇は、法律のうえで、はっきりと政治から切り離されたのです。
天皇のお務めは、憲法の定める「国事行為」と、象徴としての活動へ。政治の決定は、国民が選んだ政治家が担う。その線引きが、明文化されました。
なぜ、今の天皇陛下は政治を語られないのか
ここまで来ると、今の天皇陛下のお立場も、見えてきます。
2026年、天皇陛下は、皇族数の確保をめぐる議論について、お言葉を述べられました。そのなかで、こうおっしゃっています。
制度に関わる事項については、私から言及することは控えたいと思います。
これは、ただの遠慮ではありません。憲法第4条にもとづく、お立場そのものです。そしてその背景には、明治・昭和と続いてきた歴史――とりわけ、政治判断に踏み込むことの重さを知った、昭和天皇の経験も――静かに重なっています。
天皇は、政治を「決める」存在ではなく、国民統合の象徴として、国民全体に寄り添う存在へ。長い時間をかけて、そのお立場が、形づくられてきたのです。
筆者の考え
ここからは、筆者の考えです。
現代の私たちは、「天皇は政治を語らないもの」と考えがちです。けれど、それは、長い歴史のなかで、少しずつ形づくられてきたものでした。
明治の天皇も、昭和の天皇も、決して、政治家のように振る舞われたわけではありません。むしろ、政治と一定の距離を保つことに、心を砕いてこられたように思います。
そして、今の天皇陛下が、政治的な賛否を述べられないのも、単なる慣習ではありません。長い歴史の上に築かれた、重いお立場なのだと、筆者は考えます。
まとめ
- 「天皇は政治を語らない」というイメージは、昔からのものではなく、歴史のなかで形づくられてきた。
- 古代・中世の天皇(天武・桓武・後醍醐など)や、白河上皇に始まる院政の上皇は、政治の中心にいた。
- 明治憲法の天皇は「統治権の総攬者」「元首」とされたが、実際は大臣が輔弼・責任を負い、天皇が裁可する運用だった。
- 1928年の張作霖爆殺事件(関東軍・河本大作大佐が首謀)をめぐり、昭和天皇は田中義一首相に強い不満を示した(総辞職は1929年7月)。後年「若気の至り」と趣旨でふり返り、以後は内閣の決定に異を唱えず裁可する姿勢を強めた。
- 戦後の日本国憲法・第4条で、天皇は「国政に関する権能を有しない」と、初めて明文化された。
- 今の天皇陛下が政治的な賛否を述べられないのは、憲法と、昭和天皇の経験も含む長い歴史の上に築かれた、お立場である。
「天皇は、政治を語らないもの」。私たちは、それを当たり前のように思っています。
けれど、それは昔からの姿ではなく、長い歴史のなかで、少しずつ形づくられてきたものでした。
政治を「決める」存在から、国民に寄り添う象徴へ。その歩みの奥に、日本の歴史の重みを、見ることができるのではないでしょうか。



