2026-08-17

連載「天皇と靖国神社第3回(全7回)

A級戦犯とは何か

A級戦犯とは何か ―― 皇室議論で誤解されやすい言葉を整理する

「A級戦犯」――靖国神社への参拝や、昭和天皇の親拝が途絶えた経緯を語るとき、必ず登場する言葉です。

けれど、この言葉ほど誤解されているものは、あまりありません。とくに「A級」という響きが、独り歩きしています。この記事では、A級戦犯とは何かを、事実と解釈を分けながら整理し、なぜそれが皇室の議論で繰り返し出てくるのかを読み解きます。前回までの富田メモ昭和天皇の参拝の記事と、あわせてお読みください。


A級戦犯とは何か

A級戦犯とは、第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判、1946〜1948年)で、「平和に対する罪」という訴因で裁かれた人々を指します。

東京裁判は、戦争を主導したとされる指導者を裁いた裁判でした。ここで有罪とされた人々が、いわゆる「A級戦犯」です。東条英機(とうじょう ひでき)元首相らが含まれます。

まず押さえておきたいのは、A級戦犯とは、戦争を「指導した」立場の人々を対象とした分類だ、という点です。この「立場」という視点が、あとで出てくる誤解を解く鍵になります。


最大の誤解 ―― 「A級」は罪の“重さ”ではない

この言葉について、一番多い誤解が、これです。「A級」を、罪の“重さ”の等級だと思ってしまうこと。「A級=最も凶悪」「B級・C級はそれより軽い」という思い込みです。

これは、まちがいです。A・B・Cは、罪の“重さ”ではなく、罪の“種類”の分類です。裁判の訴因(起訴の理由)の区分に対応しています。

区分 罪の種類
A(A級) 平和に対する罪(侵略戦争を計画・遂行した、という訴因)
B(B級) 通例の戦争犯罪(戦争の法規・慣例に反する行為)
C(C級) 人道に対する罪

A・B・Cは「罪の種類」の分類

つまり、AからCへと「軽くなっていく」わけではありません。種類が違うだけです。実際、東京裁判で死刑となった人々も、その罪状には「通例の戦争犯罪」(B級にあたる訴因)が含まれていました。また、一般に「A級」で禁錮刑、「BC級」で死刑という例もありました。「A級だから、一番重い罰を受けた」とは、必ずしも言えないのです。

「A級」という言葉の“強い響き”が、事実を離れて、独り歩きしている――ここが、この記事で一番伝えたいところです。


もう一つの誤解 ―― A級戦犯=残虐行為をした人?

「A級戦犯」と聞くと、みずから残虐な行為に手を下した人物、というイメージを持つ人がいます。これも、正確ではありません。

先に見たとおり、A級戦犯は「平和に対する罪」――つまり、戦争を計画し、指導したという立場で問われた人々です。戦場での個別の行為そのものを直接に裁いたものとは、性格が異なります。

一方、BC級戦犯は、捕虜の扱いなど、戦争の現場での具体的な行為をめぐって、アジア各地の軍事裁判で裁かれた人々を指します。こちらは、現場の兵士や下士官が対象となった例も多くありました。

「指導した立場(A級)」と「現場の行為(BC級)」。両者は、裁かれた“層”も“性格”も違います。ひとくくりに「戦犯」と語ると、この違いが見えなくなってしまいます。


東京裁判を、どう見るか

A級戦犯を生んだ東京裁判そのものについては、評価が大きく分かれています。ここは、事実と解釈を、はっきり分けて考える必要があります。

批判的な見方 ―― 「平和に対する罪」は、戦争のあとに作られた考え方で、事後法(あとから作った法で裁く)にあたるのではないか、という批判があります。また、勝った側が負けた側だけを裁く「勝者の裁き」だ、という指摘もあります。

意義を認める見方 ―― 一方で、戦争を主導した責任を、国際的な法廷の場で問うたことに意味があった、とする見方もあります。

この記事は、どちらか一方に立つものではありません。「そういう議論がある」という事実を、公平に押さえておくことが大切です。


戦後、日本国内での位置づけ

もう一つ、あまり知られていない事実があります。戦後の日本で、いわゆる戦犯とされた人々の位置づけが、どう扱われたか、という点です。

日本は、1952年に発効したサンフランシスコ平和条約(第11条)で、これらの裁判を受諾しました。これによって、日本は国際社会に復帰しました。

ここは、言葉を正確に扱いたいところです。条約の日本語正文は「裁判を受諾し」であり、政府も一貫して、そう説明しています。

極東国際軍事裁判所の裁判については、法的にはさまざまな議論があるということは承知しています。しかしながら、我が国としては、サンフランシスコ平和条約第十一条により、同裁判を受諾しています。それについて異議を唱える立場にはありません。 ――外務大臣政務官、2017年4月7日 衆議院・外務委員会

「受諾したのは刑の執行だけではないか」という議論もありますが、政府の立場は「裁判を受諾した」であり、それに異議を唱える立場にはない、というものです。

その一方で、国内では別の動きがありました。遺族への援護をめぐる法律の改正を通じて、戦犯とされた人々の遺族も、援護の対象に含められていったのです。

たとえば1955年の遺族援護法の改正では、各派共同提案の修正案に、こう盛り込まれました。

戦犯として拘禁中死亡した者についての遺族年金、弔慰金の支給を適正化すること ――遺族援護法改正案の修正要旨、1955年7月21日 衆議院・本会議

注目したいのは、その通り方です。この修正案は各派共同提案であり、採決では全会一致で可決されています。当時、党派を超えた合意があった、ということです。

ここから見えるのは、「国際的には判決を受諾した」という側面と、「国内では遺族の援護を進めた」という側面が、両方あった、という複雑な事実です。「A級戦犯」という言葉の重みは、この二面性の上に成り立っています。


皇室の視点 ―― なぜ、この言葉が皇室議論で出るのか

さて、ここからが、この記事の核心です。なぜ、「A級戦犯」という言葉が、皇室の議論で繰り返し登場するのでしょうか

きっかけは、靖国神社への合祀(ごうし)です。1978年(昭和53年)、靖国神社は、A級戦犯とされた14柱(死刑となった人々と、裁判の途中や服役中に亡くなった人々を含む)を、「昭和殉難者(しょうわじゅんなんしゃ)」として合祀しました。この判断を下したのは、宗教法人である靖国神社です。

そして、この合祀ののちも、昭和天皇の靖国神社への親拝は、行われませんでした

ただし、順序には注意が必要です。最後の親拝は1975年11月で、合祀(1978年10月)より前のことでした。「合祀を境に参拝をやめた」という単純な図式ではありません。この時系列については前回の記事で詳しく扱いました。その理由をめぐって、後年、富田メモが大きな議論を呼んだことも、それぞれの記事で扱ったとおりです。

「A級戦犯」が皇室議論に現れる流れ

つまり、「A級戦犯」という言葉は、靖国神社と皇室の関係という、デリケートな問題の中心にあるのです。だからこそ、この言葉を正確に理解しておくことが、昭和天皇の親拝をめぐる議論を、落ち着いて考えるための土台になります。

なお、ここで一つ、確認しておきたいことがあります。天皇は、政治的な事柄について立場を示さない、というのが日本国憲法のもとでの原則です。靖国参拝をめぐる評価は、政治的な論争を含みます。ですから、この問題を語るときには、天皇の政治的中立という原則にも、十分に配慮する必要があります。


よくある誤解の整理

最後に、誤解されやすい点を、まとめて整理します。

  • 「A級=最も重い罪」 ―― 違います。A・B・Cは罪の“種類”の分類で、重さの順ではありません。
  • 「A級戦犯=残虐行為をした人」 ―― 正確ではありません。A級は「戦争を指導した立場」で問われた人々です。
  • 「戦犯は、戦争で亡くなったすべての人のこと」 ―― 違います。戦犯と、一般の戦没者とは、区別して考える必要があります。
  • 「A級戦犯合祀を決めたのは国」 ―― 違います。合祀を判断したのは、宗教法人である靖国神社です。

筆者の考え

ここからは、筆者の考えです。

筆者は、「A級戦犯」という言葉が、その意味を正確に理解されないまま、強い響きだけで使われていることに、危うさを感じています。

「A級」を「最も凶悪」という意味で受け取れば、そこから導かれる議論も、事実からずれていきます。言葉を正確に使うことは、歴史を冷静に考えるための、最初の一歩です。「A級とは、罪の重さではなく、種類の分類である」――この一点を知るだけでも、見え方はずいぶん変わるのではないでしょうか。

そのうえで、筆者が大切だと思うのは、戦没者を追悼する心と、戦争責任をめぐる政治的な評価とを、分けて考える姿勢です。この二つが混ざると、議論は感情的になりやすく、かみ合わなくなります。

そして、皇室との関わりで言えば、昭和天皇の親拝が絶えたという事実の重みを、静かに受け止めたいと思います。その背景を、一つの資料や、一つの言葉だけで断定することはできません。だからこそ、富田メモ参拝が途絶えた経緯とあわせて、言葉の意味をていねいにたどることが、遠回りのようでいて、一番確かな道だと筆者は考えています。

そのうえで、これは筆者の一つの願いです。いつの日か、陛下が再び靖国神社に、心静かに参拝できる日が来ることを、切に願っています。戦没者を悼むという、本来最も自然でおだやかな営みが、今は政治的な論争のなかで難しくなっている――その状況が、少しずつでもほぐれていってほしいと思うのです。

もちろん、これは簡単な話ではありません。天皇は政治的な事柄について立場を示さないという原則があり、さまざまな立場への配慮も欠かせません。分祀(ぶんし)をめぐる議論など、乗り越えるべき論点も多くあります。それでも、戦没者への追悼という一点においては、いつか陛下が、だれにも気がねなく、静かに手を合わせられる日が来てほしい。一人の日本人として、そう願わずにはいられません。


まとめ

  • A級戦犯は、東京裁判で「平和に対する罪」の訴因で裁かれた人々。戦争を指導した立場が対象。
  • A・B・Cは罪の“重さ”ではなく“種類”の分類。「A級=最も凶悪」は誤解。
  • BC級は戦争の現場での具体的な行為をめぐる裁判で、A級とは層も性格も異なる。
  • 東京裁判の評価は分かれる。日本はサンフランシスコ講和条約で判決を受諾し、国内では遺族援護も進められた。
  • この言葉が皇室議論で出るのは、1978年の靖国神社への合祀と、昭和天皇の親拝が絶えた経緯があるため。合祀を判断したのは宗教法人である靖国神社。

言葉を正確に知ることが、歴史を冷静に考える出発点になります。


参考・出典