2026-09-22

悠仁親王殿下が20歳

悠仁親王殿下が20歳 ―― 皇位継承順位第2位の成年皇族として、これから何が変わるのか

2026年9月6日、悠仁親王殿下が20歳のお誕生日を迎えられました。

宮内庁皇嗣職が同日公表した文書には、こう書かれています。

悠仁親王殿下は、大学生としてご学業を優先されつつ、昨年9月からの1年間、成年式関連行事等や公的なご活動などにも心を込めて取り組まれました。 ――宮内庁皇嗣職「悠仁親王殿下20歳のお誕生日に当たり」(令和8年9月6日)

短い一文ですが、今の殿下のお立場が、そのまま表れています。筑波大学で生物学を学ぶ大学2年生であり、同時に皇位継承順位第2位の成年皇族でもある。この記事は、その二つをどう考えるかという話です。

先に、結論を書きます。

20歳になったからといって、すべてを背負う必要はありません。 けれど、皇位継承順位第2位の成年皇族であるという事実も、動きません。だからこそ、学業を大切にしながら、皇族としての経験を少しずつ積み重ねていくこと。そして国民の側も、20歳の一人の人間に完成を求めるのではなく、長い目で見守ること。それが大切ではないかと、筆者は考えています。


「20歳で成年皇族になった」のではない

はじめに、間違えやすい点を整理します。

悠仁親王殿下が成年を迎えられたのは、20歳のときではありません。 2024年9月6日、18歳のお誕生日にです。

2022年4月から、民法の成年年齢は20歳から18歳に引き下げられました。宮内庁は、成年式の時期を知らせる2024年3月の文書で、こう書いています。

親王殿下は、令和4(2022)年に民法で成年年齢が20歳から18歳とされてから成年を迎えられる初めての皇族となります。 ――宮内庁皇嗣職「悠仁親王殿下の成年式の時期について」(令和6年3月29日)

つまり殿下は、一般の国民と同じ18歳で法律上の成年になられました。ここに特別扱いはありません。

そのうえで、皇室には成年式という別の儀式があります。男性皇族が成年を迎えられると成年式を行うのが皇室の慣例で、これまでは成年の日に行われることが多かったと、同じ文書は説明しています。

殿下の場合は、高校3年生という時期と重なったため、高校卒業後の適切な時期に行うこととされました。実際に行われたのは、翌2025年9月6日、19歳のお誕生日でした。

つまり、こういう順番です。

  1. 2024年9月6日(18歳) ―― 民法上の成年
  2. 2025年9月6日(19歳) ―― 成年式(加冠の儀など)
  3. 2026年9月6日(20歳) ―― 成年皇族として1年を過ごされた節目

18歳・19歳・20歳 ―― 三つの節目

「20歳=成年」という説明は、今の日本では正確ではありません。20歳という年齢そのものに、制度上の意味があるわけでもありません。今回の20歳は、成年皇族として歩み始めて1年がたった節目として見るのが、実際のところに近いと思います。


40年ぶりの成年式と、その1年

成年式の中心となる儀式は、2025年9月6日に行われました。宮内庁の説明では、加冠の儀、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、朝見の儀などです。

男性皇族の成年式は、1985年の秋篠宮皇嗣殿下以来、40年ぶりでした。

儀式はその日だけでは終わりません。

  • 9月7日から8日 ―― 三重県と奈良県で、神宮と神武天皇山陵をご参拝。成年式が滞りなく終わったことを報告
  • 9月9日 ―― 昭和天皇山陵をご参拝。あわせて、殿下ご自身のお考えで大正天皇山陵・貞明皇后山陵・香淳皇后山陵もご参拝
  • 9月10日 ―― 三権の長らとの午餐
  • 2026年2月26日から27日 ―― 京都府で明治天皇山陵・昭憲皇太后山陵をご参拝。泉涌寺で焼香、孝明天皇山陵・英照皇太后山陵をご参拝
  • 2026年2月28日 ―― 赤坂東邸での茶会

宮内庁は、この茶会について「この茶会をもって、成年式に関連する儀式、行事はすべて執り行われたことになります」と書いています。成年式が終わるまでに、約半年かかったことになります。

そして、こう続きます。

悠仁親王殿下は一連の行事を終えられ、成年皇族としての自覚を持ち、皇室の一員としての役割をしっかりと果たしていきたいという思いを新たにされたようです。


成年皇族になると、何が増えるのか

ここからが、この記事の本題です。成年皇族になると、具体的にどのような場に出ることになるのか。宮内庁の公表資料から整理します。

大きく分けると、三つの種類があります。

① 宮中の行事

殿下は、皇后陛下お誕生日祝賀を最初に、上皇陛下お誕生日祝賀、新年祝賀の儀、新年一般参賀、講書始の儀、歌会始の儀、天皇誕生日祝賀の儀などに、成年皇族の立場で臨まれました。

歌会始の儀では、「明」というお題で初めてお歌を詠進されています。夏の黄昏時に、幼少の頃から関心を持ってこられたトンボ(マルタンヤンマ)を間近にご覧になれた嬉しさを詠まれたものだと、宮内庁は説明しています。

2026年5月には、国賓としてお迎えしたフィリピン大統領夫妻の宮中晩餐に初めて陪席されました。

② 宮中祭祀

祭祀にも参列されるようになりました。秋季皇霊祭の儀・秋季神殿祭の儀を最初に、新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀・暁の儀)、元始祭の儀、昭和天皇祭皇霊殿の儀、春季皇霊祭の儀、春季神殿祭の儀、神武天皇祭皇霊殿の儀。いずれも幄舎(あくしゃ)に参列し、庭上で拝礼されています。

③ 公的なご活動

戦争と平和に関わるもの、国際的な催し、外国王室との交流、文化や学びに関わるもの――と幅があります。

成年皇族になって増えたもの

ここで大切なのは、宮内庁が行事と祭祀のどちらについても同じ但し書きを付けていることです。

ご学業に差し支えのない範囲でご参列になっています。

この「範囲」という言葉が、今のお立場を表しています。


広島ご訪問 ―― 慰霊という務め

2026年8月の広島ご訪問は、成年皇族としてのご活動の中でも、性格がはっきりしたものでした。

宮内庁の説明によれば、殿下は広島市の広島平和記念公園で、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に供花し、拝礼されました。続いて、本川小学校平和資料館の入口にある慰霊碑に供花されたあと、資料館をご視察になっています。

本川小学校について、宮内庁はこう記しています。

爆心地からわずか410mであり、2人を除き全員が亡くなったこの小学校で、亡くなられた方々をお悼みになり、原爆の悲惨さを改めてお感じになったと伺いました。

殿下がどのような政治的な考えをお持ちかは、公表資料からは分かりませんし、推し量るべきことでもありません。ここで確認できるのは、成年皇族として、戦争と平和に関わる場所を訪ね、慰霊をされたという事実です。

慰霊は、天皇・皇族の務めの中でも中心にあるものの一つです。この1年では、戦後80年にあたって琉球舞踊の公演や「戦後80年 戦争と子どもたち」展をご覧になり、伊豆大島では土砂災害の語り部の話に耳を傾け、メモリアル公園の慰霊碑に供花されています。どれも、積み重ねの一部です。


国際的な場に出るということ

この1年、殿下は国際的な催しにも数多く出ておられます。

  • 大阪・関西万博(2025年9月) ―― ご単独で日本館・ベルギー館をご視察。大屋根リングを歩かれ、関西パビリオンなども回られた後、秋篠宮皇嗣殿下と合流してオランダ館・タイ館などへ
  • 東京2025世界陸上選手権大会(2025年9月)
  • デフリンピック東京2025(2025年11月) ―― 開会式にご臨席。12月には日本選手団の代表と、手話を交えて懇談
  • 世界スキーオリエンテーリング選手権大会2026(2026年3月) ―― 北海道・留寿都村で競技をご覧になり、表彰式・閉会式にご臨席
  • 外国王室との交流 ―― バーレーンの皇太子殿下、英国のエディンバラ公同妃両殿下、トンガの皇太子同妃両殿下などとご挨拶・ご懇談

こうした場は、将来、外国の王室や元首と接する機会につながっていくものです。

ただし、ここは正確に書いておきます。天皇の国際親善は、憲法に定められた国事行為ではありません。 国事行為は憲法第6条・第7条に列挙されたもので、外国訪問や外国賓客の接遇は、それとは別の公的なご活動として行われています。皇族方の場合も同じで、「外交を担う」立場ではありません。

いま殿下が経験されているのは、外交そのものではなく、外国の方々と直に接する経験です。


大学では何を学んでおられるのか

殿下は、筑波大学生命環境学群生物学類の2年生です。

宮内庁の説明によれば、本年4月から2年生となられ、対面授業のある日にはキャンパスに登校されています。

  • 必修では、生物の論文を読むための英語の授業、体育の授業
  • 生物分野の座学と実験では、1年目よりさらに専門的な分野を扱う授業
  • 夏には野外の実習にも参加

宮内庁は「実験や実習などを含め、生物の分野について広い視野で学びを深められているようです」と書いています。

「皇位継承順位第2位なのだから、大学で虫の研究などしている場合ではない」という声は、正直なところ、あります。

筆者は、そうは考えません。学ぶ内容が皇室の務めに直接役立つかどうかで、学問の価値を決めるべきではないからです。生き物とその生息環境を観察し、記録し、確かめる――この積み重ねは、事実を確かめてから判断する態度そのものです。加えて、大学は、同年代の人たちと日常を共にできる数少ない場でもあります。

これは筆者の考えであって、宮内庁が説明していることではありません。ただ、皇位継承順位第2位だからこそ、社会を知る時間が要るとは言えると思います。


皇位継承順位第2位とは、どういうことか

ここで、制度を確認します。

皇位継承の資格と順序は、皇室典範が定めています。

皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。 ――皇室典範 第1条

皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。 一 皇長子 二 皇長孫 三 その他の皇長子の子孫 四 皇次子及びその子孫 五 その他の皇子孫 六 皇兄弟及びその子孫 七 皇伯叔父及びその子孫 ――皇室典範 第2条(抜粋)

天皇陛下に男子のお子様はいらっしゃいません。そのため、第六号の「皇兄弟及びその子孫」にあたる秋篠宮皇嗣殿下、そしてそのお子様である悠仁親王殿下へと続きます。国会でも、2026年3月の衆議院予算委員会で、議員が「皇位継承順位第一位である秋篠宮皇嗣殿下、皇位継承順位第二位である悠仁親王殿下」と述べています。

ここで注意したいことがあります。

皇位継承順位第2位であることと、将来の即位が決まっていることは、別です。 皇室典範第4条は「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と定めていますが、これは順位が上の方から順に受け継がれるという意味であって、将来を確定させるものではありません。

この記事では、「次の天皇」「未来の天皇」という書き方をしていません。正確には、皇位継承順位第2位の成年皇族です。

なお、2026年7月に成立した改正皇室典範(施行は2026年10月24日)は、女性皇族の身分と養子の制度を変えましたが、皇位継承の資格と順序を定めた第1条・第2条には手を入れていません。順位は変わっていない、ということです。


20歳で、すべてを背負う必要があるのか

ここからは、考え方の話です。

皇位継承順位第2位という立場には、多くの期待が向けられます。将来の皇室、皇位継承の安定、皇族数の減少――。国民の関心が集まるのは、自然なことでもあります。

けれど、それを20歳の一人の人間に、いま全部背負わせてよいのでしょうか。

筆者は、そうは思いません。理由は二つあります。

一つ目。20歳で完成している必要は、そもそもありません。 人格も、知識も、公の場での振る舞いも、長い時間をかけて身につけていくものです。歴代の天皇・皇族方も、20歳で完成されていたわけではありません。

二つ目。急がせることが、かえって基礎を弱くします。 学業を削って公務を増やせば、その分だけ、社会を知る時間と、専門を深める時間が失われます。短期的に見えるものを増やして、長期的に必要なものを減らすことになりかねません。

殿下ご自身は、2025年3月の記者会見でこう述べておられます。

公的な活動についてですが、大学在学中は学業を優先させていただきながらにはなりますが、少しずつ携わっていくことになると思います。周りの方々から御助言を頂きながら、一つ一つに丁寧に取り組み、成年皇族としての自覚を持ち、皇室の一員としての役割をしっかりと果たしていきたいと思っております。 ――「悠仁親王殿下ご成年をお迎えになっての記者会見」(令和7年3月3日)

「少しずつ」「一つ一つに丁寧に」。 この1年の歩みは、この言葉のとおりだったと思います。

秋篠宮皇嗣殿下も、2025年11月のお誕生日の会見で、こう話されています。

今はまだ大学生ですので、公的な場面に出る機会というのは、それほど多くなく、限られたものであります。……出席する場合、その一つ一つを大切に思いながら、丁寧に取り組んでほしいと思っています。 ――「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和7年)」


一方で、成年皇族としての責任もある

とはいえ、「大学生なのだから、皇族としての役割は当分いらない」という考え方にも、筆者は賛成しません。

宮中の行事も、祭祀も、その場に出て、順序や所作を身につけていくしかないものです。書物で読んで済むものではありません。慰霊も、外国の方々との交流も同じで、経験がそのまま蓄積になります。

秋篠宮皇嗣妃殿下は、殿下が18歳になられた2024年の文書回答で、こう書かれています。

しばらく先におこなわれる予定の成年式を終えてから、学業に支障がない範囲で、成年の皇族として宮中の行事や祭祀に参列するようになります。 ――「秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し(令和6年)」

学業に支障がない範囲で、しかし確かに始める。 この1年は、そのとおりに進みました。ご単独での万博視察も、歌会始への初めての詠進も、ジャンボリーでの初めてのお言葉も、「初めて」が積み重なった1年でした。

二つの立場を、どう置くか


皇室制度の側が、用意すべきもの

ここは、制度の話として考えたい点です。

皇位継承順位第2位の若い成年皇族がいる。これは皇室にとって大きな意味を持ちます。ただし、皇族数の問題が解決したわけではありません。

皇位継承資格をお持ちの皇族については、国会でも「秋篠宮皇嗣殿下、それから悠仁親王、そして常陸宮殿下の、このお三方しかいらっしゃいません」(2022年2月・衆議院予算委員会)と述べられてきました。2026年の改正も、女性皇族が結婚後も皇室にとどまれるようにし、旧宮家の男系男子を養子に迎える道を開くもので、皇族数の確保が目的でした。継承順位の問題と、皇族数の問題は別です。

そのうえで、制度の側に必要なのは、急がせない環境だと思います。

  • 学業の時間を、制度として守ること
  • 公的なご活動を、年齢と段階に応じて設計すること
  • 支える職員や体制を整えること

「若い皇位継承者がいるのだから安心だ」と言って任せきりにするのは、支える側の責任放棄です。


別の見方

筆者とは異なる見方も、挙げておきます。

  • もっと公務に出るべきだという考え方があります。国民が皇室を身近に感じる機会は、実際にお出ましがあってこそ生まれる、という理由です。この指摘には理のある部分があります。
  • 逆に、大学生のうちは公的な活動を控えるべきだという考え方もあります。学業に集中すべきだ、という立場です。
  • 皇位継承制度そのものを変えるべきだという立場から、順位の議論と切り離して考えるべきだという意見もあります。

いずれも、制度や公務のあり方についての議論です。制度をどう論じるかと、一人の人物をどう評価するかは、分けて考えたいと思います。


筆者の考え

前回の記事で、皇族方に向けられる言葉について書きました。制度への批判は自由でよい。けれど、反論しにくい立場の方に、人格を傷つける言葉を向けてよいわけではない、という趣旨です。

20歳という節目にも、同じことが当てはまります。

「皇位継承順位第2位なのだから、何を言われても我慢すべきだ」ということには、なりません。 立場が重いことと、人としての尊厳が薄くなることは、まったく別のことです。

そして、期待の向け方にも節度が要ると思います。「将来の天皇なのだから完璧であれ」という期待は、応援のつもりでも、一人の20歳に向けるには重すぎます。

筆者が望ましいと思うのは、次のような形です。

  • 大学では、生物学を学ぶ一人の学生として時間を過ごされること
  • 成年皇族としては、宮中の行事や祭祀、慰霊、国際的な場での経験を、少しずつ積まれること
  • 国民の側は、20歳の時点での完成度ではなく、これから何を積んでいかれるかを、長い目で見ること

この1年、殿下は成年式を終え、祭祀に列し、初めてお歌を詠み、被爆地で慰霊をされました。どれも、一度に身につくものではありません。


結論

悠仁親王殿下の20歳は、「次の天皇を、今から完成させる」という意味ではありません。

法律上の成年は18歳で迎えられ、成年式は19歳のときに行われました。20歳の今回は、成年皇族として歩み始めて1年という節目です。

そして、今の殿下には二つの立場があります。筑波大学で生物学を学ぶ大学2年生と、皇位継承順位第2位の成年皇族。どちらか一方に寄せる必要はありません。

長い皇室の将来を考えるなら、一人の若者として成長する時間と、皇位継承者として経験を積む時間の両方を確保できる環境を整えること。それが、いま必要なことではないでしょうか。

国民の側にできるのは、完成を急かすことではなく、長い目で見守ることだと思います。


参考・出典