2026-08-25

天照大御神とは何か

天照大御神とは何か ―― 皇室の祖先神と日本神話

前回の伊勢の神宮の記事では、そこに祀られる、皇室の祖先神とされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)を紹介しました。

けれど、そこで一つ、素朴な問いが残ります。そもそも、天照大御神とは、何者なのでしょうか。

「太陽の神」ということは、なんとなく知っている。でも、それ以上となると、はっきりとは説明できない――そんな方も多いのではないでしょうか。この記事では、天照大御神という存在を、神話・皇室・三種の神器・伊勢の神宮・宮中祭祀という角度から、順に整理していきます。

はじめに、大切な前提を一つ。この記事で扱う天照大御神の物語は、『古事記』『日本書紀』に伝わる「神話」です。歴史的な事実として検証されたものではありません。この記事では、神話・信仰・歴史学を、混同せずに区別してお話しします。


天照大御神とは

天照大御神は、日本最古の書物とされる『古事記』(712年)『日本書紀』(720年)に登場する、太陽の神です。

高天原(たかまがはら)――神々が住むとされる天上の世界――を治める、主神(中心となる神)とされています。数多くの神々のなかでも、とりわけ高い位置に置かれた存在です。

その誕生は、神話のなかで、こう語られます。国を生んだ神・イザナギが、黄泉(よみ)の国から帰り、けがれを清めるために禊(みそぎ)をします。そのとき、

  • 左の目を洗うと、天照大御神が生まれ、
  • 右の目を洗うと、月読命(つくよみのみこと)が生まれ、
  • 鼻を洗うと、須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれた、

と伝えられます。この三柱(さんはしら)の神は、まとめて三貴子(さんきし/みはしらのうずのみこ)と呼ばれ、とりわけ貴い神々とされました。天照大御神は、その筆頭にあたります。

イザナギの禊と、生まれた三貴子(さんきし)

なお、天照大御神は、一般には「天照大神(あまてらすおおみかみ)」とも表記されます。『古事記』では「天照大御神」、『日本書紀』では「天照大神」と記されており、どちらも同じ神を指します。この記事では、正式な表記の一つである「天照大御神」で統一します(以下、一般に「天照大神」と呼ばれる神のことです)。

もう一つ、押さえておきたい特徴があります。天照大御神は、日本神話のなかで、女性の神として描かれることです。世界の神話では、太陽の神は男性とされることが多いのですが、日本神話の天照大御神は女性の神。皇室の祖先神でありながら、女性の神である――これは、天照大御神の大きな特徴の一つです。


天岩戸神話

天照大御神をめぐる物語のなかで、最も有名なのが、天岩戸(あまのいわと)神話です。「なぜ、天照大御神が太陽の神とされるのか」が、この物語からよく分かります。

話の流れは、こうです。

弟の須佐之男命が、高天原で乱暴なふるまいを重ねます。田を荒らし、神聖な機織りの場を汚すなど、その行いに、天照大御神は深く心を痛めます。そしてついに、天岩戸という洞窟に入り、岩の戸を閉ざして、隠れてしまいます

すると、どうなったか。太陽の神が姿を隠したことで、高天原も、地上も、真っ暗な闇に包まれてしまいました。さまざまな災いが起こり、世界は混乱します。

困り果てた八百万(やおよろず)の神々は、天安河原(あまのやすかわら)に集まって、相談します。そして、知恵をしぼり、岩戸の前で盛大な祭りを催しました。アメノウズメという女神が舞い、神々がどっと沸き立ちます。

その笑い声を不思議に思った天照大御神が、岩戸を少しだけ開けて外をのぞいた――その瞬間、待ち構えていた神が、天照大御神を岩戸の外へ導き出しました。こうして、世界に、ふたたび光が戻ったのです。

天岩戸(あまのいわと)神話の流れ

太陽の神が隠れると世界が闇になり、現れると光が戻る。この物語は、天照大御神が太陽そのものを象徴する神であることを、鮮やかに伝えています。ここでは、神話を詳しく追うことよりも、「太陽の神だからこそ、その存在が世界を照らす」という一点を、押さえておければ十分です。


皇室との関係

ここが、この記事の中心です。天照大御神は、なぜ皇室にとって特別なのか。

神話では、天照大御神の血筋が、天皇へとつながっていく、と語られます。その系譜は、おおよそ次のとおりです。

天照大御神 → 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと) → 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)

この瓊瓊杵尊が、天照大御神の命を受けて、高天原から地上へと降ります。これが、有名な天孫降臨(てんそんこうりん)です。「天(あま)つ神の孫が、地上を治めるために、高天原から降りてくる」――そういう神話で、日本神話の中心となる出来事の一つとされます。

そして、瓊瓊杵尊の血筋が受け継がれていった先に、初代とされる神武天皇が位置づけられます。神武天皇から、歴代の天皇へ。こうして、天照大御神 → … → 神武天皇 → 歴代天皇という、一本の系譜が語られるのです。

天照大御神から歴代天皇までの系譜(神話)

この系譜があるからこそ、皇室では、天照大御神を皇祖神(こうそしん)――皇室の祖先にあたる神――として、特別に敬ってきました。天皇が「神の子孫」と語られてきたのは、この神話にもとづくものです。

くり返しになりますが、これは『古事記』『日本書紀』に伝わる神話であり、歴史的な事実として証明されたものではありません。ただ、皇室が長いあいだ、天照大御神を祖先神として大切にしてきたという事実は、神話とは別に、確かに存在します。


三種の神器との関係

天照大御神は、三種の神器とも、深く結びついています。

三種の神器とは、皇位のしるしとして受け継がれてきた、八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三つです。

このうち、とりわけ天照大御神と関わりが深いのが、八咫鏡です。神話では、天岩戸から天照大御神を導き出す際に用いられたと語られ、のちに天孫降臨の折、瓊瓊杵尊に授けられたと伝えられます。そして、この八咫鏡は、天照大御神の御魂代(みたましろ)――そのみたまが宿るもの――とされてきました。

のちに見るように、この八咫鏡そのもの(御神体)は、伊勢の神宮に祀られていると伝えられています。皇位のしるしと、皇祖神。その二つが、鏡を通じて結ばれています。


伊勢の神宮との関係

天照大御神をお祀りする神社が、伊勢の神宮(正式名称・神宮)です。

前回の記事でも触れたとおり、もともと天照大御神は宮中で祀られていましたが、垂仁(すいにん)天皇の時代、皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)が、そのお祀りする地を求めて各地をめぐり、伊勢の地にたどりついた――と『日本書紀』は伝えます。

こうして、伊勢の神宮の中心である内宮(ないくう)=皇大神宮(こうたいじんぐう)に、天照大御神が祀られることになりました。皇室の祖先神を祀る社として、伊勢の神宮が特別な意味を持つのは、この天照大御神の存在があるからです。


宮中祭祀との関係

天照大御神が祀られているのは、遠い伊勢の地だけではありません。天皇のお住まいである皇居のなかにも、天照大御神は祀られています

皇居には、宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)と呼ばれる三つの神聖な場所があります。その一つ、賢所(かしこどころ)について、宮内庁はこう説明しています。

皇祖天照大御神がまつられています。 ――宮内庁「宮中祭祀」(賢所)

ちなみに残る二つは、歴代天皇・皇族の御霊をまつる皇霊殿(こうれいでん)と、国中の神々をまつる神殿(しんでん)です。

つまり天皇は、遠く伊勢の神宮で、そして日々の宮中の賢所で、皇祖神である天照大御神に祈りを捧げてこられました。ここに、皇室というものの、もう一つの姿が見えてきます。皇室は、皇室典範や皇位継承といった制度だけで成り立っているのではありません。祖先神へ祈りを捧げるという「祭祀(さいし)」によっても、支えられているのです。

(※宮中三殿や賢所については、いずれ別の記事で、あらためて取り上げる予定です。)


歴史学では、どう考えられているか

ここは、この記事でとくに大切にしたいところです。

ここまで見てきた天照大御神の物語は、神話です。では、歴史学の立場からは、天照大御神は、どう捉えられているのでしょうか。

歴史学では、天照大御神(天照大神)を、実在した歴史上の人物とみなすことは、一般的ではありません。天照大御神は、あくまで『古事記』『日本書紀』という古代の書物に描かれた、神話上の神と捉えられています。歴史学が研究の対象とするのは、「天照大御神が実在したか」ではなく、「なぜ、そのような神話が生まれ、語り継がれてきたのか」という点になります。

大切なのは、次の三つを、はっきりと分けて考えることです。

  • 神話としての天照大御神 ―― 『古事記』『日本書紀』が伝える、太陽の神・皇室の祖先神。
  • 信仰としての天照大御神 ―― 今も神として敬われ、祈りの対象とされている存在。
  • 歴史学から見た天照大御神 ―― 実在の人物ではなく、古代の神話として研究される対象。

この三つは、どれも間違いではありません。ただ、立っている場所が違うのです。神話を、そのまま歴史的事実として語ることも、逆に「作り話にすぎない」と切り捨てることも、どちらも一面的です。それぞれの立場を区別したうえで理解することが、この主題を落ち着いて考える鍵になります。


別の見方

天照大御神をどう捉えるかは、立場によって異なります。ここでは、代表的な三つの立場を、公平に並べておきます。

  • 信仰の立場 ―― 天照大御神を、実在する神として敬い、祈りを捧げる。神社に参拝する多くの人の、自然な感覚です。
  • 歴史学の立場 ―― 天照大御神を、古代の神話資料として研究する。実在の証明ではなく、神話の成り立ちや意味を探ります。
  • 皇室の立場 ―― 天照大御神を、皇祖神として、今も祭祀を続けている。制度ではなく、伝統として受け継がれてきたものです。

このどれか一つだけが正しく、ほかは間違い――というものではありません。信仰は信仰として、歴史学は歴史学として、それぞれに意味があります。大切なのは、混同しないことです。


筆者の考え

ここからは、筆者の考えです。

筆者は、皇室を理解するには、制度だけでなく、祭祀も理解する必要があると考えています。そして、その祭祀の入り口に立っているのが、天照大御神という存在です。皇祖神を知ることは、皇室が何を大切にしてきたのかを知ることに、まっすぐつながっています。

だからこそ、神話を「史実かどうか」だけで見るのは、もったいないと思うのです。もちろん、神話を歴史的事実と混同してはいけません。それは、この記事で繰り返し確認してきたとおりです。けれど、その一方で、日本人や皇室が、何を大切にし、何を語り継いできたのか――そういう視点から神話を見ることにも、大きな意味があるはずです。

そのうえで、筆者が一つ気になっていることがあります。それは、日本の学校教育で、神話がほとんど扱われないということです。

現在の歴史教科書では、神武天皇についても、神話として紹介されることはあっても、史実として扱われることは、ほとんどありません。教科書に、歴史上の人物として本格的に登場する最初の天皇が、推古天皇である、というのが実情です。神話は「歴史的事実ではない」という理由で、教育の場から、ほぼ切り離されてしまっています。

もちろん、神話を歴史的事実として教えるべきだ、という話ではありません。それは違います。けれど、諸外国では、自国の神話や、聖書をはじめとする古典を、文化や教養として学ぶ機会があります。神話を「事実か否か」で切り捨てるのではなく、「自分たちの国が、何を語り継いできたのか」を知る教養として学ぶことには、意味があるのではないでしょうか。

筆者は、皇位継承をめぐる議論も、こうした前提の共有があってはじめて、深まるものだと考えています。天照大御神をはじめとする神話や、皇室の歴史を、事実と神話を区別したうえで、きちんと学ぶ。その土台があってこそ、「皇室とは何か」「皇位継承とは何か」を、落ち着いて語り合えるのだと思います。


まとめ

  • 天照大御神は、『古事記』『日本書紀』に登場する太陽の神。高天原を治める主神で、イザナギの禊から生まれた三貴子の一柱。
  • 天岩戸神話は、日本神話でもとくに有名な物語。太陽神としての性格をよく表す。
  • 神話では、天照大御神 → 瓊瓊杵尊(天孫降臨) → 神武天皇 → 歴代天皇へと続く系譜が語られ、皇室は天照大御神を皇祖神としてきた。
  • 三種の神器、とくに八咫鏡は、天照大御神の御魂代とされる。
  • 天照大御神を祀るのが伊勢の神宮(内宮=皇大神宮)。宮中の賢所でも祀られ、今も祭祀が続く。
  • 神話・信仰・歴史学は立場が違う。歴史学では実在の人物とは考えられていない。三つを混同せず区別して理解することが大切。

天照大御神は、皇室を「祭祀の側」から理解するための、大切な入り口です。事実と神話を分けたうえで、日本という国が何を語り継いできたのかを知る――そのための一歩として、知っておきたい存在だと思います。


参考・出典

  • 宮中祭祀|宮内庁 ―― 宮中三殿。賢所は「皇祖天照大御神がまつられています」、皇霊殿は「歴代天皇・皇族の御霊」、神殿は「国中の神々」
  • 神宮について|伊勢神宮 ―― 内宮(皇大神宮)の祭神は天照大御神。「皇室の御祖先の神」と記されている
  • 古事記|国立公文書館「歴史と物語」 ―― 天武天皇の命により稗田阿礼が誦習した内容を太安万侶が筆録し、和銅5年(712年)に完成
  • 日本書紀|国立公文書館「歴史と物語」 ―― 養老4年(720)に完成したとされる、現存する日本最古の勅撰史書。全30巻
  • ※ 本記事で紹介した天照大御神の物語は、いずれも『古事記』『日本書紀』に伝わる神話です。歴史的事実として検証されたものではありません。