改元はなぜ行われたのか ―― 「令和」が特別だった理由
2026-07-06

2019年、日本中がお祝いムードの中で、「令和」が始まりました。
新しい元号の発表を、多くの人がテレビの前で見守り、街には祝賀の雰囲気があふれました。
けれど、歴史を振り返ると、改元(元号を改めること)は、必ずしも喜ばしい出来事ばかりではありませんでした。
昔の人は、なぜ元号を変えたのでしょうか。今回は、「改元」という習わしをたどりながら、「令和」がなぜ特別だったのかを考えてみたいと思います。
昔は、何度も改元していた
まず、意外に思われるかもしれない事実から。
今でこそ、元号は天皇お一方につき一つです。しかし昔は、一人の天皇の時代でも、元号が何度も変わることが、珍しくありませんでした。
たとえば江戸時代の初め、後水尾天皇お一方の時代だけでも、元和(げんな)から寛永(かんえい)へと改元されています。江戸時代全体を見ても、慶安・明暦・万治など、天皇の代替わりとは関係なく改元が繰り返されていました。
どれくらいの数があったのか。日本の元号は、大化(645年)から令和まで、247を数えます(令和を入れて248)。ざっと平均すれば、5〜6年に一度は改元されていた計算になります。
つまり、天皇の代替わりだけが、改元の理由ではなかったのです。では、ほかに何が、改元のきっかけになったのでしょうか。
なぜ、改元したのか
改元の主な理由は、大きく次のようなものでした。
- 災害 ―― 大きな地震や火災など、天災が起きたとき。
- 疫病 ―― 流行り病をしずめたいという願いから。
- 戦乱 ―― 戦いや内乱を断ち切るため。
- 吉兆(きっちょう) ―― めでたい印(瑞祥)が現れたとき。
- 即位 ―― 天皇の即位・代替わりのとき。

こうして見ると、改元は、新しい天皇を迎えるためだけのものではなく、その時々の出来事に区切りをつけるための習わしでもあったことが分かります。
改元は、「厄払い」でもあった
なかでも注目したいのが、悪い出来事を断ち切るための改元です。
大きな災害や疫病が続くと、人々は「時代が悪い」と感じ、元号を改めることで心機一転、新しい時代への願いを込めたのです。いわば、改元は「厄払い」のような意味も持っていました。
その背景には、中国から伝わった思想の影響もあります。辛酉革命(しんゆうかくめい)・甲子革令(かっしかくれい)といって、辛酉や甲子という特定の年には、世の中が大きく変わるとされ、それに合わせて前もって改元することもありました。
元号には、ただの年の数えかたを超えて、人々の願いや祈りが込められていたのです。
明治で、改元の仕組みが変わった
この習わしが大きく変わったのが、明治です。
1868年(明治元年)9月8日、「一世一元(いっせいいちげん)の詔」が出されました。これによって、一人の天皇に、一つの元号という、今の仕組みが定められます。
- 明治
- 大正
- 昭和
- 平成
- 令和
明治以降は、この五つだけ。天皇の代替わり以外では、元号は変わらなくなりました。

つまり、私たちが当たり前だと思っている「天皇お一方に元号一つ」という形は、実は明治以降の、比較的新しい制度なのです。
平成と令和は、何が違ったのか
同じ「天皇の代替わりによる改元」でも、平成と令和では、迎え方が大きく違いました。
平成は、昭和天皇の崩御にともなう改元でした。国全体が喪に服す、悲しみの中での改元です。
令和は、上皇陛下のご譲位にともなう改元でした。崩御ではなく、ご存命のままの代替わり。だからこそ、人々は心おきなく、お祝いの気持ちで新しい時代を迎えることができました。

ここで、言葉には少し注意が必要です。「令和は、日本史上はじめて祝われた改元だ」と言われることがありますが、それは正確ではありません。正しくは、明治以降の一世一元の制度のもとでは初めて、国民が喪に服することなく迎えた改元、ということになります。
筆者の考え
令和の改元を経験した私たちは、それを当たり前のことのように思っています。
けれど、長い歴史を振り返れば、元号は災害や戦乱のたびに改められ、その一つ一つに、人々の願いが込められてきました。
その中で令和は、近代では珍しく、多くの国民が笑顔で迎えることのできた改元でした。上皇陛下のご譲位という、近代では例のない代替わりがあったからこその光景です。
元号とは、単なる年の数えかたではなく、その時代に生きた人々の思いを映すものなのかもしれません。
まとめ
- 昔の改元は、天皇の代替わりだけが理由ではなかった。
- 災害・疫病・戦乱・吉兆など、さまざまな理由で改元が行われた。改元には「厄払い」の意味もあった。
- 日本の元号は、大化(645年)から令和まで247(令和で248)。平均すると5〜6年に一度の改元だった。
- 「一人の天皇に一つの元号」(一世一元)は、1868年(明治元年)の詔で定められた、明治以降の制度。
- 平成は崩御による改元(喪の中で)、令和は譲位による改元(祝いの中で)。
- 令和は、一世一元の制度のもとでは初めて、国民が喪に服さずに迎えた改元だった。
私たちは、令和の改元を、当たり前のことのように思っています。
けれど、長い歴史のなかで、元号は災害や戦乱のたびに改められ、その一つ一つに、人々の祈りが込められてきました。
そして令和は、近代では珍しく、多くの国民が笑顔で迎えた改元でした。元号とは、その時代を生きた人々の思いを、静かに映すものなのかもしれません。



