なぜ天皇には姓がないのか ―― 皇室に「苗字」がない理由

2026-07-05

なぜ天皇には姓がないのか

天皇陛下の苗字(みょうじ)は、何でしょうか。

テレビでも新聞でも、「天皇陛下」「今上陛下」「秋篠宮皇嗣殿下」とは呼ばれます。けれど、姓(苗字)で呼ばれることは、ありません。

実は――天皇陛下にも、皇族にも、苗字は存在しません

私たち日本人には、必ず姓があります。それなのに、なぜ皇室には苗字がないのでしょうか。今回は、政治の話ではなく、日本の歴史と制度、そして日本語の文化として、整理してみます。


天皇陛下に、苗字はない

まず、事実から確認します。

現在の天皇陛下には、「○○氏」「○○家」といった姓は、ありません。皇后陛下にも、ありません。

「秋篠宮」「常陸宮」といった呼び名を、苗字のように感じるかもしれませんが、これは宮号(みやごう)であって、一般の苗字とは別のものです。

つまり、皇室の方々は、私たちのような「姓+名」という形のお名前を、お持ちではないのです。

私たちには姓がある/皇室にはない


そもそも「姓」とは何か

では、そもそも「姓(氏・うじ)」とは、何だったのでしょうか。

古代の姓は、「自分が、どの一族(氏族)に属するか」を示すものでした。

  • 藤原氏
  • 源氏
  • 平氏
  • 橘氏

などが、その代表です。姓とは、いわば「どの家・どの一族の人間か」という、所属のしるしだったのです。


天皇は、氏族の「外側」にいる

ここが、一番大事なところです。

天皇は、特定の一族に属する存在では、ありません。それどころか――氏や姓を、家臣に与える側でした。

古代、天皇は、功績のあった人々に「氏」や「姓(かばね)」を授け、その家格を定めてきました。つまり天皇は、姓を「もらう」立場ではなく、「与える」立場だったのです。

だとすれば、天皇ご自身に、姓は必要ありません。天皇は「○○家の一員」なのではなく、皇室そのものを体現する存在だからです。


皇族にも、姓はない

天皇だけではありません。親王・内親王・王・女王といった皇族も、姓を持ちません。

  • 「秋篠宮文仁氏」ではなく、秋篠宮文仁親王
  • 「愛子氏」ではなく、敬宮愛子内親王

皇族でいらっしゃるかぎり、姓は存在しないのです。


源氏や平氏は、どこから来たのか

ここで、面白い話があります。「臣籍降下(しんせきこうか)」です。

皇族が、皇室を離れて臣下(民間)になるとき、天皇から姓を賜ることがありました。その代表が、「源(みなもと)」や「平(たいら)」です。

源氏も平氏も、もとをたどれば、天皇の子孫です。源氏は、9世紀のはじめ、嵯峨天皇がご自身の皇子・皇女に「源」の姓を授けたのが始まりと伝えられます。平氏も、桓武天皇の子孫が「平」の姓を賜ったことに始まります。いずれも、皇族が臣下に下るときに、天皇から姓を授かったものでした。

ここから、不思議なことが見えてきます。「姓を持つ」ということは、裏を返せば、「皇族ではなくなる」ということでもあったのです。

逆に言えば――皇族であるかぎり、姓は要らない。姓がないことは、皇室の一員であることの、しるしでもあったのです。

臣籍降下 ―― 姓を賜ることは、皇室を出ること


戸籍ではなく、「皇統譜」

もう一つ、制度の面からも見てみましょう。

私たち一般の国民は、生まれると「戸籍(こせき)」に登録されます。姓も、そこに記されます。

ところが、天皇・皇族は、戸籍を持ちません。かわりに、「皇統譜(こうとうふ)」という、皇室専用の記録に登録されます。

皇統譜は、皇室典範(第26条)にもとづく制度です。天皇・皇后を記す「大統譜(たいとうふ)」と、その他の皇族を記す「皇族譜(こうぞくふ)」からなり、皇室の系譜を記録します。一般の戸籍とは、別の世界にあるのです。だから、「戸籍上の姓は何か」と問うても、そもそも戸籍がない、というのが答えになります。

国民は「戸籍」/天皇・皇族は「皇統譜」


名前で呼ばない文化との関係

天皇陛下には、苗字がないだけではありません。お名前(諱・いみな)でも、お呼びしません。

私たちは、「陛下」「天皇陛下」「今上陛下」と、お立場によってお呼びします。

日本語には、高い立場の方を、名前ではなく、役割や地位で呼ぶ習わしがあります。「苗字を持たない」「名前で呼ばない」――どちらも、その文化のあらわれと言えるのかもしれません。


筆者の考え

ここからは、筆者の考えです。

姓があるかないか。戸籍があるかないか。――その一つ一つが教えてくれるのは、私たち一般の国民と、皇室とでは、成り立ちも、制度の根っこも、まるで違う、ということです。

だとすれば、と筆者は思います。皇室のことを考えるとき、私たちが日ごろなじんでいる物差し――民主主義や、人権や、男女平等といった、近代社会の大切な価値観――を、そのまま当てはめてよいのかどうかは、少し立ち止まって考えたい。

それらの価値観は、私たちの社会にとって、かけがえのないものです。ただ、皇室は、それとは別の原理の上に、長い時間をかけて続いてきた存在でもあります。成り立ちの違うものを、一つの物差しだけで測ろうとすると、大切なものを見落としてしまうかもしれません。

だからこそ、急いで結論を出すより、まず「どういう成り立ちのものなのか」を知ることから始めたい。筆者は、そう考えています。


まとめ

  • 天皇陛下にも皇族にも、姓(苗字)はない。皇后陛下にもない。「秋篠宮」などは宮号で、苗字とは別。
  • 古代の姓(氏)は「どの一族に属するか」を示すしるし(藤原・源・平・橘など)。
  • 天皇は氏族の外側にいて、姓を「与える」立場だった。だからご自身に姓は必要なく、皇室そのものを体現する存在。
  • 源氏・平氏は、皇族が臣籍降下する際に「源」「平」の姓を賜ったのが始まり(源氏は嵯峨天皇、平氏は桓武天皇の子孫から)。「姓を持つ=皇族でなくなる」ことでもあった。
  • 天皇・皇族は戸籍を持たず、皇室典範にもとづく「皇統譜」(大統譜・皇族譜)という特別な記録に登録される。
  • 「苗字を持たない」「名前で呼ばない」という皇室の伝統には、日本の歴史と日本語の文化があらわれている。

私たちには、姓があります。けれど、天皇陛下には、ありません。

それは特別扱いというよりも、天皇が氏族の外側にあり、皇室そのものを体現する存在だからです。そして皇族もまた、姓を持ちません。

「名前で呼ばない」「苗字を持たない」――その奥に、日本の長い歴史と、日本語の文化を、見ることができるのではないでしょうか。