2026-08-28

なぜ天皇は祈るのか ―― 皇室祭祀が今も続く理由
「天皇陛下は、普段どんなことをされているのだろう」
そう聞かれて、多くの方が思い浮かべるのは、国会の開会式や、外国の要人とのご会見、被災地へのお見舞い――といった場面ではないでしょうか。
けれど、それは天皇陛下の務めの、一部にすぎません。
天皇陛下には、ほとんど報道されない、もう一つの大切な務めがあります。それが「祈り」です。
先に、この記事の結論をお伝えします。天皇は、国と国民のために祈る存在であり続けてきました。 そしてその祈りは、制度として命じられているものではありません。現在の位置づけは「私的な行為」でありながら、古くから受け継がれてきた――そこに、この務めの本質があります。
天皇の、一番古い務め
天皇の務めというと、憲法に定められた「国事行為」を思い浮かべる方が多いと思います。
けれど歴史をさかのぼると、天皇の役割の中心には、つねに祭祀(さいし)――神々を祀り、祈ること――がありました。
『古事記』『日本書紀』には、天皇が神々を祀る場面がくり返し描かれます。これらは神話として語られてきた記述であり、そのまま史実として扱うことはできません。ただし歴史学でも、古代の大王(おおきみ)が共同体の祭祀を担っていたと考えられています。
つまり「政治を行う王」である以前に、「祈る王」だった。それが、天皇という存在の古い姿でした。
皇室祭祀(宮中祭祀)とは何か
天皇が皇居のなかで行われる祭祀を、宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)、または皇室祭祀といいます。
その舞台となるのが、皇居内にある宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)です。
- 賢所(かしこどころ) ―― 皇室の祖先神である天照大御神をお祀りする。
- 皇霊殿(こうれいでん) ―― 歴代の天皇・皇族の御霊をお祀りする。
- 神殿(しんでん) ―― 天神地祇(てんじんちぎ)、八百万の神々をお祀りする。
この場所については、賢所とは何かで詳しく扱いました。
宮内庁は、宮中祭祀について「年間約20件近くの祭儀が行われています」と記しています。天皇陛下は、その多くにみずから臨まれます。
国事行為とは、何が違うのか
ここが、一番誤解されやすいところです。
天皇の行為は、普通は三つに分けて説明されます。

- 国事行為 ―― 憲法に定められた行為。内閣の助言と承認による(国事行為とは何か)。
- 公的行為 ―― 象徴としての立場で行われる行為(被災地のお見舞い、外国ご訪問など)。
- その他の行為 ―― 上の二つに当てはまらない行為。
では、宮中祭祀はどこに入るのか。「私的な行為」と説明されることが多いのですが、そこまで単純ではありません。
内閣法制局の見方では、「その他の行為」の中はさらに「純粋に私的なもの」と「公的性格あるいは公的色彩があるもの」に分かれます(2003年3月6日 衆議院憲法調査会での、参考人・園部逸夫氏の説明)。宮中祭祀がどちらなのかは、示されていません。
実際、扱いは分かれています。通常の祭祀の費用は内廷費――天皇の御手元金――から。けれど大嘗祭だけは、公金である宮廷費があてられました。1990年、内閣法制局長官がその理由を述べています。
全くの私的性格のものとして内廷費で支弁するというのは適当ではないのではなかろうか。そういう意味で公的性格を有する皇室行事ということで宮廷費 ――参議院 内閣委員会(1990年5月24日)政府委員・工藤敦夫 内閣法制局長官
政府自身が「全くの私的性格のものではない」と言っている。 一律に「私的行為」と片づけられる話ではないのです。
制度のうえでの位置づけは、今も定まりきっていません。けれど、祈りそのものは古くから受け継がれてきました。この記事が見たいのは、そちらのほうです。
一年に、どんな祈りがあるのか
宮内庁が公表している主な祭儀から、いくつかを挙げてみます。

- 四方拝(しほうはい)/1月1日 ―― 「早朝に天皇陛下が神嘉殿南庭で伊勢の神宮、山陵および四方の神々をご遙拝になる年中最初の行事」。
- 元始祭(げんしさい)/1月3日 ―― 年始にあたり、皇位の大本と由来を祝し、国家国民の繁栄を宮中三殿で祈られる。
- 春季・秋季皇霊祭/春分の日・秋分の日 ―― 歴代の天皇・皇族の御霊をお祀りする。
- 神嘗祭(かんなめさい)/10月17日 ―― 「賢所に新穀をお供えになる神恩感謝の祭典」。この朝、天皇陛下は神嘉殿において伊勢の神宮をご遙拝になる。
- 新嘗祭(にいなめさい)/11月23日 ―― 神嘉殿で、その年の新穀を皇祖はじめ神々にお供えし、神恩を感謝される。宮中恒例祭典のなかで、最も重要とされる。
新嘗祭の11月23日は、今の「勤労感謝の日」です(文化の日は明治天皇の誕生日だった)。祝日の由来をたどると、宮中の祈りに行きあたる――そういう例は、ほかにもあります。
なお、天皇が即位後にただ一度だけ行われる新嘗祭を、大嘗祭といいます。
何のために祈るのか
ここが、この記事で一番お伝えしたいところです。
宮内庁の説明を読むと、祈りの中身が見えてきます。元始祭では「国家国民の繁栄」、神嘗祭・新嘗祭では収穫への「神恩感謝」、四方拝ではその年の平安。
つまり――
天皇が祈られるのは、ご自身のためではありません。 国民の安寧、五穀豊穣、そして国の平安。祈りの対象は、一貫して「国と国民」です。
元日の早朝、まだ暗いうちに、天皇陛下は庭に出て四方を拝されます。テレビが報じることも、国民が見ることもありません。それでも、毎年、続けられています。
見られることを前提としない務め。 皇室の祈りには、そういう性格があります。
海外の王室と比べてみると
君主が宗教的な役割を持つ例は、日本だけではありません。

たとえばイギリス。イングランド国教会は、公式サイトにこう書いています。
His Majesty the King is the Supreme Governor of the Church of England. The King appoints archbishops, bishops, and cathedral deans on the advice of the Prime Minister. ――The Church of England「Governance」
国王は国教会のSupreme Governor(首長)であり、首相の助言にもとづいて大主教・主教を任命する。制度のなかに、はっきり組み込まれた地位です。
これに対して日本では、天皇に宗教的な公的地位はありません。憲法第4条は、天皇が「国政に関する権能を有しない」と定めています。
- イギリス ―― 国王が国教会の首長。制度のなかに位置づけられた宗教的地位。
- 日本 ―― 天皇に宗教的な公的地位はない。祭祀は制度の枠の外で受け継がれてきた。
制度に組み込まれているか、制度の外にあるか。 ここが大きな違いです。制度の外にありながら途切れなかった――という点は、日本の皇室の特徴といえます。
別の見方
宮中祭祀の位置づけについては、いくつかの立場があります。
- 伝統として重んじる立場 ―― 長い歴史のなかで続いてきた皇室の中核であり、日本文化そのものだと捉える。国が相応の位置づけを与えるべきだ、という意見もある。
- 政教分離を重んじる立場 ―― 宗教的な行為である以上、国が関与すべきではなく、現在の「私的行為」という整理は妥当だと考える。
- 現実的な運用を重んじる立場 ―― 高齢の天皇にとって祭祀の負担は重く、簡素化や見直しも検討されるべきだ、という指摘もある。
どれか一つだけが正しい、というものではありません。「伝統」と「憲法」の両方をどう両立させるかという、答えの出しにくい問いがそこにあります。
筆者の考え
ここからは、筆者の考えです。
皇位継承の議論は、どうしても「制度」の話に集中します。男系か女系か、皇族の数をどう保つか――もちろん、それらは大切なテーマです。
けれど筆者は、制度の議論だけでは、皇室の半分しか見ていないのではないか、と感じています。
天皇という存在を長くつないできたものは、法律ではありません。誰にも見られない場所で、国民のために祈り続けてきた、その積み重ねです。四方拝の朝、そこにカメラはありません。それでも続いている。
「天皇とは何か」を考えるとき、この祈る姿を抜きにはできない。少なくとも、皇室を理解するうえで欠かせない視点だと思います。
そのうえで、はっきりさせておきたいことがあります。祭祀の重みと、制度上の位置づけは、別の話だということ。そして制度上の位置づけのほうは、まだ定まりきっていません。 学界の通説と内閣法制局の見解では分け方が違い、大嘗祭については政府自身が「全くの私的性格のものではない」と述べています。
伝統を重んじる立場からも、政教分離を重んじる立場からも、「もう決着がついている」ことにしないで議論したい――そう考えています。
まとめ
- 天皇には、国事行為とは別に「祈り(祭祀)」という務めがあり、これは天皇の役割のなかで最も古い性格を持つ。
- 皇居で行われる祭祀を宮中祭祀(皇室祭祀)といい、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)が舞台。宮内庁は「年間約20件近く」と記す。
- 内閣法制局の見解では天皇の行為は国事行為・公的行為・その他の行為に分かれる(学界の通説は「その他」を「私的行為」とする)。「その他の行為」の中は純粋に私的なものと公的性格があるものに分かれ、宮中祭祀がどちらかは定まっていない。通常の祭祀は内廷費だが、大嘗祭は政府が「全くの私的性格のものではない」として宮廷費をあてている。
- 主な祭儀は、四方拝(1/1)、元始祭(1/3)、神嘗祭(10/17)、新嘗祭(11/23)など。新嘗祭は宮中恒例祭典で最も重要とされ、その日は現在の「勤労感謝の日」。
- 祈りの対象は一貫して国と国民。ご自身のためではない。報道されず、見られることを前提としない務めである。
- イギリスでは国王が国教会のSupreme Governor(首長)という制度上の地位を持つのに対し、日本の天皇に宗教的な公的地位はない。制度の外にありながら途切れなかった点が特徴。
次回
天皇が祈り続けてきたのと同じように、皇室にはもう一つ、長く受け継がれてきたものがあります。皇位の継ぎ方です。
次回・第2回は、「なぜ皇室は男系を重んじてきたのか ―― 制度ではなく歴史から考える」。賛否の手前にある、その理由をたどります。
参考・出典
- 宮中祭祀|宮内庁 ―― 「年間約20件近くの祭儀が行われています」
- 宮中三殿|宮内庁 ―― 賢所「皇祖天照大御神」、皇霊殿「歴代天皇・皇族の御霊」、神殿「国中の神々」
- 主要祭儀一覧|宮内庁 ―― 四方拝・元始祭・春季/秋季皇霊祭・神嘗祭・新嘗祭の期日と説明
- 衆議院 憲法調査会 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会(2003年3月6日)|国会会議録検索システム ―― 参考人・園部逸夫氏「国事行為、公的行為とその他の行為というふうに分ける説は内閣法制局の見解」
- 参議院 内閣委員会 会議録(1990年5月24日)|国会会議録検索システム ―― 工藤敦夫内閣法制局長官。大嘗祭は「公的性格を有する皇室行事」として宮廷費
- 参議院 内閣委員会 会議録(1996年3月26日)|国会会議録検索システム ―― 角田素文皇室経済主管。内廷費に「宮中祭祀関係の経費」が含まれる
- 日本国憲法 第4条|e-Gov法令検索 ―― 「国政に関する権能を有しない」
- Governance|The Church of England ―― 「His Majesty the King is the Supreme Governor of the Church of England.」



