2026-07-11

元正天皇は、なぜ結婚しなかったのか ―― 独身を貫いた女性天皇
歴代の女性天皇は、八方十代おられます。そのうち後半の四方は、いずれも生涯、独身でした。そして、その最初のお一人が元正天皇(げんしょうてんのう)です。天皇でありながら、なぜ結婚しなかったのか。現代の感覚からすると、不思議に思える方もいるかもしれません。元正天皇を通して、「女性天皇とは何だったのか」を、もう少し深く考えてみます。
皇統のど真ん中に立つ方だった元正天皇
元正天皇は、名を氷高皇女(ひだかのひめみこ)といい、第44代の天皇です。その血統は、皇統のまさに中心にありました。父は草壁皇子(くさかべのみこ)、母は前回見た元明天皇(げんめいてんのう)、祖父母は天武天皇(てんむてんのう)と持統天皇(じとうてんのう)、弟は文武天皇(もんむてんのう)で、甥にあたるのが、のちの聖武天皇(しょうむてんのう)です。天武天皇から続く皇統の、ど真ん中に立つ方だったのです。

幼い聖武天皇が成長するまでの即位
元正天皇の即位は、前回の元明天皇の話とつながっています。707年、若き文武天皇が、わずか25歳で崩御します。残された皇子、首皇子(おびとのみこ/のちの聖武天皇)は、まだ幼い子供でした。そこで、文武天皇の母である元明天皇が即位し、皇位をいったん預かります。そして715年、元明天皇が譲位し、その後を継いだのが、娘の元正天皇でした。つまり元正天皇の即位は、母から娘へと引き継がれた、幼い聖武天皇が成長するまで、皇統をつなぐための即位だったのです。
結婚しなかった理由は、史料に書かれていない
実は、史料には、結婚しなかった理由がはっきりとは書かれていません。あくまで、そう考えられているという話です。挙げられているのは、幼い聖武天皇への継承を何より優先した、もし自らに子が生まれれば新たな皇位継承の問題が生じる可能性もあった、天皇の夫やその一族が新しい有力勢力(外戚)となることを避けた、という理由です。
いずれも、推測の域を出ません。けれど、共通しているのは、自分が新しい流れを作るのではなく、聖武天皇への継承を、まっすぐに守ろうとした、という見方です。
前半の四方と後半の四方で、女性天皇のあり方が変わった
歴代の女性天皇を前半と後半に分けてみると、はっきりした違いが見えてきます。前半の四方――推古天皇、皇極(斉明)天皇、持統天皇、元明天皇は、いずれも結婚し、子供がいました。しかも四方とも、もとは天皇の皇后、あるいは男性皇族の妃です。そして、いずれも夫に先立たれ、未亡人となったのちに即位されています。
ところが、後半の四方――元正天皇、孝謙(称徳)天皇、そして、ずっと時代が下って江戸時代の明正天皇(めいしょうてんのう)、後桜町天皇(ごさくらまちてんのう)は、全員が、生涯独身でした。その境目に立ったのが、元正天皇です。元正天皇以後の女性天皇が、そろって生涯独身だったことを考えると、そこには偶然ではない、ある種の役割意識があったのかもしれません。

724年、成長した聖武天皇へ譲位する
724年、成長した首皇子が、聖武天皇として即位します。元正天皇は、ここで位を譲り、その役割を終えました。譲位したあとも、元正太上天皇(だじょうてんのう)として長く存命で、新しい天皇となった聖武天皇を、後ろから支え続けたと伝えられています。元正天皇は、父・草壁皇子、弟・文武天皇、甥・聖武天皇という皇統の流れの中で、自らその流れを変えることなく、次代へとつなぐ役割に徹しました。

自分の役割を知り、静かに果たした天皇
元正天皇が心に残るのは、何か大きな改革をしたからではありません。むしろ、自分の役割をはっきりと知り、それを静かに果たしたからなのだと、筆者は思います。結婚しない。子を持たない。新しい皇統を作らない。その一つ一つが、次の世代へ皇位をつなぐための選択だったのかもしれません。
歴代の女性天皇たちは、それぞれに違う事情のなかで即位し、それぞれの務めを果たしてこられました。そのなかでも元正天皇は、自ら新しい流れを作ることを選ばず、次の世代へ、静かに皇位を手渡した。その役割を、最も徹底したお一人だったように思います。
そして、今の「女性天皇」の議論では、過去の女性天皇が「前例」として語られることがあります。けれど、こうして一人ひとりを見ていくと、その姿は、現代の私たちが思い描くイメージとは、ずいぶん違っている。そのことも、静かに心にとめておきたいと思います。



