2026-07-15

連載「女性天皇をたどる第8回(全8回)

最後の女性天皇は、なぜ即位したのか

最後の女性天皇は、なぜ即位したのか ―― 後桜町天皇と皇統をつないだ時代

これまで、推古天皇から明正天皇まで、歴代の女性天皇をたどってきました。

その最後に立つのが、後桜町天皇(ごさくらまちてんのう)です。日本の歴史で、最後の女性天皇となった方です。

この記事は、ただ「最後の女性天皇」を紹介するものではありません。これまで見てきた女性天皇たちが担ってきた役割の、いわば集大成として、後桜町天皇を見つめたいと思います。

結論を先に言えば――後桜町天皇もまた、皇統を守り、次の世代へと受け渡した女性天皇でした。


後桜町天皇とは、どなたか

後桜町天皇は、名を智子内親王(としこないしんのう)といい、第117代の天皇です。

  • 父は、桜町天皇(さくらまちてんのう)
  • 母は、青綺門院(せいきもんいん)。お名前を、二条舎子(にじょう としこ)といいます。
  • そして、弟が、桃園天皇(ももぞのてんのう)。後桜町天皇は、その(異母姉)にあたります。

歴代の女性天皇のなかでも、もっとも時代のくだった、江戸時代なかばの天皇です。


なぜ、即位したのか

ここが、この記事の中心です。

1762年、弟の桃園天皇が、わずか22歳の若さで崩御します。

残されたお子さま――のちの後桃園天皇(ごももぞのてんのう)は、このときまだ数え五歳ほどの、幼い皇子でした。とても、すぐに位につける年齢ではありません。

そこで、桃園天皇の姉である智子内親王が即位し、後桜町天皇となりました。幼い皇子が成長するまで、皇統を安定させる役割を担ったと考えられています。

ここで、これまでの記事を思い出してください。

  • 推古天皇は、混乱した皇統を、次の代へつなぎました。
  • 元明天皇元正天皇は、幼い聖武天皇が育つまで、皇位を預かりました。
  • 明正天皇もまた、父から弟へと、皇位を受け渡しました。

そして後桜町天皇にも、それと重なる役割が見えてきます。幼い男系男子(後桃園天皇)が成長するまで、皇位を預かり、次の世代へと確かにつなぐ。推古天皇から数えれば、千年以上。それほどの時を隔てても、女性天皇に期待された役割には、驚くほど共通点が見えてくるのです。

桃園天皇から後桃園天皇までの流れ


独身を貫いた

後桜町天皇もまた、生涯、独身でした。子もいません。

なぜ結婚しなかったのか。その理由は、史料にはっきりとは書かれていません。ですので、ここでも断定は避けます。

ただ、一つの事実があります。歴代の女性天皇八方十代のうち、後半の四方――

  • 元正天皇
  • 孝謙(称徳)天皇
  • 明正天皇
  • 後桜町天皇

は、全員が、生涯独身でした。後桜町天皇は、その最後の一人です。理由を、史料から断じることはできません。ただ、女性天皇が結婚して子をもうければ、新たな皇位継承をめぐる問題が生じる可能性はあった、とも考えられます。男系の皇統を、揺らさずに次の世代へ渡す――後半の女性天皇が、そろって独身を通した背景には、そうした事情もあったのかもしれません。いずれにせよ、四方が皆、独身を貫いたことだけは、確かな事実です。

歴代の女性天皇(八方十代)


後桃園天皇へ、譲位する

やがて、幼かった皇子は、立派に成長します。

1771年、後桜町天皇は、甥である後桃園天皇へ、皇位をゆずりました。即位から、およそ九年。幼い皇子が成長し、皇位を継げる年齢になったのを、見届けてのことでした。

こうして後桜町天皇は、自らの役割を、静かに果たし終えたのです。


上皇として、皇統を見守る

譲位したあとも、後桜町上皇の役割は、終わりませんでした。

実は、譲位先の後桃園天皇もまた、若くして世を去り、皇位を継ぐべき男子に恵まれませんでした。皇統は、ふたたび危機を迎えます。

そのとき、皇室の長老として、次の天皇を迎える大切な場面に立ち会ったのが、後桜町上皇でした。上皇でありながら、まるで母のように、若い光格天皇(こうかくてんのう)を支え導いたことから、後桜町上皇は「国母(こくぼ)」とも称されました。

この、江戸時代後期の皇位継承をめぐる出来事は、それ自体が大きな物語です。けれど、それは次回の記事にゆずることにします。ここでは、後桜町天皇という方が、譲位の後も、皇統を静かに見守り続けた、ということだけを、おさえておきたいと思います。


筆者の考え

ここからは、筆者の考えです。

後桜町天皇について、本当に心に残るのは、「最後の女性天皇だった」ということ――ではないように思います。

むしろ、最後の最後まで、女性天皇の役割は、変わらなかった。そのことのほうが、ずっと深く心に残るのです。

推古天皇から始まり、元明天皇、元正天皇、明正天皇、そして後桜町天皇まで。時代も、政治のかたちも、大きく違います。それでも、女性天皇たちには、はっきりと共通する役割が見えてきます。それは、皇統を、次の世代へと、確かに受け渡すことでした。

女性天皇に共通する役割

後桜町天皇は、その役割を、最後に担った女性天皇でした。長い歴史のなかで受け継がれてきた「皇統をつなぐ」という務めを、静かに、けれど確かに果たし、次の世代へと手渡した。その姿は、これまで見てきたどの女性天皇とも、深いところでつながっているように思います。

女性天皇の歴史は、後桜町天皇をもって、いったん幕を閉じます。けれど、その役割の意味は、今を考えるうえでも、静かに語りかけてくるものがあるように、筆者には思えるのです。


まとめ

  • 後桜町天皇は第117代天皇。名は智子内親王。日本の歴史で最後の女性天皇。
  • 父は桜町天皇、母は青綺門院(二条舎子)。弟は桃園天皇で、後桜町天皇はその姉(異母姉)。
  • 1762年、弟・桃園天皇が22歳で崩御。その子(のちの後桃園天皇)が幼少だったため即位した。
  • 生涯独身を貫き、子は持たなかった。歴代後半の女性天皇四方は、全員が独身。
  • 1771年、成長した甥・後桃園天皇へ譲位した。
  • 譲位後も上皇として皇統を見守り、のちの皇位継承(光格天皇の即位)でも重要な存在となった。
  • 推古天皇・元明天皇・元正天皇・明正天皇と同じように、幼い男系男子へ皇位をつなぐ役割を担った、最後の女性天皇だった。

最後の女性天皇だった――そのことよりも、本当に心に残るのは、最後の最後まで、女性天皇の役割は変わらなかった、ということです。

推古から後桜町まで、時代も政治のかたちも大きく違うのに、その務めははっきりと共通していました。皇統を、次の世代へ、確かに受け渡すこと。

女性天皇の歴史は、後桜町天皇をもって、いったん幕を閉じます。けれど、その役割の意味は、今を考えるうえでも、静かに語りかけてくるように思うのです。