2026-08-27

菊の御紋とは何か

菊の御紋(菊花紋章)とは何か ―― 皇室を象徴する十六八重表菊

皇居のなかでは、今も皇室の祭祀が静かに営まれています。その皇室には、ひと目でそれと分かる「しるし」があります。菊の御紋(きくのごもん)です。パスポートの表紙、皇居の門、皇室のニュースの背景――。だれもが一度は目にしているはずですが、「あれが何なのか」を説明できる人は、多くないかもしれません。菊の御紋とは、皇室を象徴する紋章であり、日本の「国章」ではありません。 そして、その歴史は神話の時代までさかのぼるものではなく、鎌倉時代に始まったものです。


菊の御紋とは

菊の御紋を、まず一言で言えば、皇室を象徴する紋章です。正式には十六八重表菊(じゅうろくやえおもてぎく)といい、「十六葉八重表菊」とも書きます。菊花紋章(きっかもんしょう)とも呼ばれます。意匠は、花びらが16枚あり、その裏側にもう16枚が重なるものです。この重なりを「八重(やえ)」といい、全体では、32枚に見えます。「菊の御紋」「菊花紋章」「十六八重表菊」は、どれも同じものを指す言い方だと考えてかまいません。

菊の御紋(十六八重表菊)


鎌倉時代の後鳥羽上皇に始まり、明治に整えられた

意外に思われるかもしれませんが、菊の御紋の歴史は、それほど古くありません。 始まりは、鎌倉時代のはじめ。後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が、菊の花をたいへん好まれたことにあると伝えられます。上皇は衣服や調度品に菊の文様を用い、みずから刀に菊の紋を刻まれたとも言われます。その刀は「菊御作(きくごさく)」と呼ばれています。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇といった歴代の天皇が、菊の紋を自らのしるしとして受け継がれました。こうして、決まりで定められたわけではなく、慣例のうちに、菊が皇室の紋として定着していったのです。

そして明治のはじめ、菊の紋は、たてつづけに太政官布告の対象になります。国立国会図書館のレファレンス回答が『法令全書』から拾い出した布告を、年代順に並べてみます。

年月日 号 件名
明治2年8月25日 802 親王家ノ菊章ヲ定ム
明治2年8月25日 803 社寺濫ニ菊章ヲ用ルヲ禁ス
明治4年6月17日 285 皇族ノ外菊御紋ヲ禁止シ紛敷品ハ改メシム
明治4年6月17日 286 皇族家紋ヲ定ム
明治7年4月2日 ― ……社殿ノ装飾及社頭ノ幕提燈ニ限リ菊御紋ヲ用ウルヲ許ス

並べてみると、「定める」と「禁じる」が交互に来ているのが分かります。まず親王家の菊章を定め、社寺の濫用を禁じる。次に皇族以外の使用を禁じ、あらためて皇族の家紋を定める。そして数年後、社殿の装飾と社頭の幕・提灯に限って、ふたたび許す。明治のはじめの数年で、「菊の紋はだれのものか」が、くり返し整理されたわけです。

なお、十六八重表菊という具体的な意匠を、どの布告がどう定めたのか。そこまでは、上記の件名からは読み取れませんでした。意匠そのものの制定経緯には、ここでは踏み込みません。いずれにせよ菊の御紋は、「古代から続く神聖なしるし」ではなく、「鎌倉時代に生まれ、明治のはじめに制度として整えられた、皇室の伝統」なのです。


なぜ皇室だけが使うのか

菊の御紋は、皇室を象徴する紋章であり、原則として、皇室を表す場で用いられます。 だれもが自由に使ってよいものではありません。ただし、「皇室以外ではまったく見かけない」というわけでもありません。皇室とゆかりの深い神社や寺院では、菊紋が神紋・寺紋として用いられている例があります。これは、明治2年にいったん社寺の使用が禁じられたのち、明治7年(1874年)に、社殿の装飾と社頭の幕・提灯に限って、使用が許された、という経緯によるものです。

そして現在は、一般の人が菊のデザインを使うこと自体を、一律に罰するような法律はありません。これは、国会でもはっきり答えられています。

菊花御紋章の使用につきましては、現在これを制限する法律はございません。ただ、御存じだろうと思いますけれども、商標法という法律がありまして、そこで国旗だとかあるいは外国の国旗だとか菊花御紋章は、これは商標登録は受けつけないという法律はございます。 ――参議院 内閣委員会(1979年5月29日)政府委員・真田秀夫 内閣法制局長官

菊は日本人になじみ深い花で、和菓子や着物の文様としても広く親しまれています。ただし、今も特別な扱いを受けています。一つは、商標として登録できないことです。商標法は、「国旗、菊花紋章、勲章、褒章又は外国の国旗と同一又は類似の商標」は登録を受けられないと定めています(第4条第1項第1号)。特定の会社や個人が独占することはできません。なお、これは商標登録の話であり、一般的な装飾として菊の模様を用いることまで禁止されているわけではありません。

もう一つは、皇室との誤認を招く使い方は避けられていることです。皇室と関係があるかのように見せる用い方は、慣習として厳に慎まれています。法律で縛られているというより、皇室への敬意として、社会が自然に守ってきた――そう捉えるほうが、実態に近いように思います。


菊の御紋は、どこで見られるのか

菊の御紋は、意外なほど身近なところにあります。皇居では門や装飾に用いられ、皇室の祭祀が営まれる宮中三殿(賢所など)や、皇室に関わる事務を担う役所の宮内庁にも見られます。国からの栄典である勲章にも用いられ、そのほか皇室関連の施設・車両・儀式など、さまざまな場面で目にします。なお、パスポート(旅券)の表紙にも菊がありますが、これは少し事情が違います。

菊の御紋は、どこで使われているか


日本に「国章」はあるのか ―― 菊の御紋は国章ではない

日本には、法律で定めた「国章」がありません。 国旗は日章旗(日の丸)で、国旗国歌法(1999年)の第一条が「国旗は、日章旗とする。」と定めています。けれど、この法律が定めているのは国旗と国歌の二つだけで、条文をすべて読んでも、「国章」という語は一度も出てきません。これは推測ではありません。外務省が、はっきりそう書いています。

我が国の場合、法制上、正式に決められた国章はありません。 ――外務省「こんな時、パスポートQ&A」Q30

そのため、菊の御紋が「日本の国章」だと思われがちですが、正確には違います。菊の御紋は皇室の紋章であり、慣例として国章に準じた扱いを受けることがある、というのが実際のところです。参考までに、日本国政府が用いる紋章は、五七桐(ごしちのきり)です。内閣総理大臣や内閣府が使う、あの桐の紋がそれにあたります。菊=皇室、桐=政府、と整理すると分かりやすいでしょう。

国旗・皇室の紋章・政府の紋章

パスポートの菊は、皇室の菊とは別のもの

もう一つあります。パスポートの表紙の菊は、皇室の十六八重表菊ではありません。 これも推測ではなく、外務省自身が、そう説明しています。 なぜ菊なのかという点も、同じ外務省のQ&Aが答えています。

皇室の御紋章は菊花十六弁に複弁(弁と弁の間から先端が覗いている十六弁)を加えた「八重菊」ですが、現行のパスポートに付されている紋章には、このような複弁はなく、単一の一重菊となっております。 ――外務省「こんな時、パスポートQ&A」Q30

パスポートの表紙には、その国の紋章を入れることが国際慣行となっていますが、我が国の場合、法制上、正式に決められた国章はありません。そのため、現行のパスポート表紙には伝統的に国を代表する花の一つである菊花を図案化しパスポートの紋章として使用してきています。 ――同上

国章がないから、菊を図案化して、その代わりに使っている。 これが、パスポートの表紙の成り立ちです。ちなみに、国章を持たない国は日本だけではありません。外務省は、英・米・仏・トルコ・エチオピアなどを挙げています。そして、こう書き添えています。イギリスのパスポートにあるライオンの紋章は、国の紋章ではなく王室の紋章。アメリカは国章の代わりに鷹の国璽(Seal)を使っている。菊の御紋の立ち位置は、イギリスのライオンによく似ているわけです。

なお、旅券法にも旅券法施行規則にも、表紙の紋章についての定めはありません。冊子型のパスポートになったのは、大正15年(1926年)のことです。


皇統の歩みと、菊の紋の歩みは別のもの

菊の御紋は、皇室そのものを表すしるしとして、受け継がれてきました。ここで、一つ気をつけたい点があります。二つの「歩み」を、同じ時間の物差しの上に並べてみます。皇室の歩みは、神話では天照大御神にさかのぼり、歴代の天皇へと受け継がれてきたと語られます。けれど、菊の御紋そのものは、その神話の時代から続いているわけではありません。

皇統の歩みと、菊の紋の歩み

下の帯を見てください。菊の紋が始まるのは、ずっと右のほう――鎌倉時代です。上の帯とくらべると、始まりの位置がまるで違います。長い皇室の歴史のなかでは、菊の紋はむしろ「新しい」ものなのです。皇統の由来(神話を含む言い伝え)と、紋章の由来(歴史的な事実)は、別のもの。 ここを分けて考えることが大切です。


神話ではなく、史料でたどれる菊の紋

天照大御神や神武天皇については、歴史学では「神話として語られてきたもの」として扱われます。実在を実証することは難しい、というのが現在の一般的な立場です。一方、菊の御紋については、事情がまったく違います。 後鳥羽上皇が菊を用いられたこと、歴代の天皇が受け継がれ、慣例として定着したこと、明治のはじめに、太政官布告でくり返し整理されたこと。これらは、記録に残る歴史的な事実です。神話ではありません。

同じ「皇室にまつわるもの」でも、神話として語られてきたものと、史料で確かめられるものがある。菊の御紋は、後者にあたります。そのため、菊花紋章の成立時期については、神話ではなく、歴史資料によってたどることができるのです。


菊の御紋を、どの角度から見るか

菊の御紋は、見る角度によって、意味合いが変わります。皇室文化として見る立場では、皇室が受け継いできた伝統・格式の表れとして捉えます。美術・意匠として見る立場では、日本の文様・デザインの一つの完成形として捉え、菊が日本人に親しまれてきた花でもあることに注目します。

国家の象徴として見る立場は、法律上の国章ではないものの、対外的に日本を表すしるしとして機能してきた実態を重く見ます。どれか一つだけが正しい、というものではありません。菊の御紋は、文化・美術・国家という、いくつもの面を持っています。


受け継がれ続けたから、しるしになった

菊の御紋というと、「権威の象徴」「近寄りがたいもの」という印象を持たれる方が多いように思います。けれど筆者は、菊の御紋を、皇室の歴史そのものを表すマークとして見たいと考えています。鎌倉時代のひとりの上皇が菊を好まれた。それを次の天皇が受け継ぎ、また次の天皇が受け継いだ。決まりで定められたからではなく、受け継がれ続けたから、しるしになった。 明治になって公式に定められたのは、そのずっと後のことです。約800年ものあいだ、途切れずに受け継がれてきた――その事実そのものが、菊の御紋の意味なのだと思います。

そして、それを知ると、日常の風景が少し変わります。パスポートの表紙を見るとき、皇居の門の前を通るとき、そこにあるのが何なのかが分かる。「なんとなく見ていたもの」が、「意味の分かるもの」に変わる。皇室を知るというのは、そういう小さな発見の積み重ねなのかもしれません。


参考・出典