2026-09-19

皇族には、何を言ってもいいのか

皇族には、何を言ってもいいのか ―― 本田由紀・東大教授の「遺伝的要因」投稿と、その後の「解説」から考える

2026年9月1日の朝、東京大学大学院教育学研究科の本田由紀教授が、X(旧ツイッター)にこう書き込みました。

この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる。露出の増加が逆効果になるかもしれない

引用されていたのは、三笠宮家の彬子女王殿下を「さもしい」と呼び、お顔を大きく写した写真を添えた、別の利用者の投稿です。「皇族への差別ではないか」という批判が一気に広がりました。

本田教授は9月5日、「解説」を公表します。「遺伝的要因のおそろしさ」は、血縁者を優遇しようとする麻生太郎氏の行為の問題点を指したもので、差別にはあたらない、という説明でした。

先に、この記事の結論をお伝えします。

筆者は、「皇族を批判してはいけない」とは考えていません。 皇室制度は、国民が自由に議論してよいものです。

ただし皇族方は、政治家や著名人のように、自分で言い返したり、国民を相手に法的措置を取ったりすることが、現実には極めて難しい立場にあります。だからこそ、「どうせ反論してこない」「どうせ訴えられない」という前提で言葉を向けることは許されない。 反論しにくい相手に向ける言葉ほど、発言する側の責任は重くなる――筆者はそう考えています。

皇位継承ラボは、皇位継承と皇室制度を扱うサイトです。普段、個人のSNSの発言を取り上げることはしていません。それでも今回取り上げるのは、この出来事が「炎上」で終わる話ではなく、皇族に向けられる言葉の線引きという、これから何度も問われる問題を含んでいるからです。


本田教授は何と投稿したのか

まず、事実を確かめます。本田教授の投稿は、Xの本人のアカウントで今も公開されています(9月19日時点)。

  • 投稿日時:2026年9月1日 午前8時ごろ
  • 形式:他の利用者の投稿を引用する「引用投稿」
  • 本田教授自身の文章:冒頭に掲げた一文だけ

引用元は、前日の8月31日夜に投稿されたものでした。本田教授の解説によれば、知人ではない人の投稿です。

その投稿は、東京新聞の記事の見出し「三笠宮彬子の皇族費倍増2135万円 皇室典範改正でちゃっかり男性皇族と同額に」を掲げ、次のような言葉を並べていました。

  • 「さもしい彬子」
  • 「皇籍離脱させるべきでは?」
  • 「麻生の血筋から天皇を出すんですか?」

そして、お顔を大きく切り取った写真が3枚添えられていました。女性皇族のお二方を写したものです(当サイトは画像を掲載しません)。

背景にある事実も確認しておきます。

  • 彬子女王殿下は、2025年9月30日の皇室経済会議で、三笠宮家の当主となることが認められました。
  • 東京新聞は2026年8月31日、宮内庁の2027年度の概算要求で、彬子女王殿下の皇族費が1067万5000円から2135万円になると報じました。7月の皇室典範改正にあわせて皇室経済法が改正され、独立して生計を営む女性皇族の皇族費を、男性皇族と同じ額にしたことによるものです。
  • 彬子女王殿下と、妹の瑶子女王殿下の母である信子妃殿下は、麻生太賀吉氏の三女で、麻生太郎氏の妹にあたります。

本田教授の投稿は、Xの表示で840万回以上閲覧されています(9月19日時点)。


その後、本田教授はどう説明したのか

本田教授は9月5日夜、「X(旧ツイッター)への投稿に関する解説」と題した文書を、2枚の画像にしてXに投稿しました。

冒頭で、本田教授はこう書いています。

私が9月1日に行ったX(旧ツイッター)投稿について、私自身や所属する複数の組織に対して、その意味に関する問い合わせや、書いていない内容を恣意的に解釈した批判が行われています。

そのうえで、改正皇室典範の養子制度や、三笠宮家と麻生家の親族関係、皇族費の増額といった背景を挙げ、問題の言葉の意味をこう説明します。

この投稿内の「遺伝的要因のおそろしさ」という言葉は、自らと遺伝子を共有する血縁者を優遇しようとする麻生太郎氏の行為の問題点を指しています。

後半の「露出の増加が逆効果になるかもしれない」については、こうです。

三笠宮彬子女王やその妹の瑶子女王がマスメディア等に登場するたびに、上記の麻生太郎氏のふるまいの問題点が想起され、視聴者は反発を抱くであろうということを意味していました。

解説は、この言葉を選んだ背景にも触れています。改正皇室典範に加わった養子の条文を「明確に血筋に基づく規定です」と位置づけ、「遺伝的要因のおそろしさ」とは、権力者の血縁者だからこそ優遇とみられかねない扱いを慎むべきだという規範が踏みにじられていないか、という危惧を述べたものだ、としています。「遺伝」という言葉は「科学の内部でも日常的にも」しばしば使われている、とも書いています。

言葉の選び方については、次のように述べています。

「遺伝的要因」という表現が最適であったかどうかは検討の余地があるとしても、「血縁者」や「親族」等の言葉と代替可能な意味で用いたのであり、その言葉を使用したことがイコール「差別」や「優生学」といったことを含意するわけではありません。

容姿については、こう書いています。

投稿では容姿に関して一切言及しておらず、そこに容姿云々といった意味を読み取ることは、読み取る者自身が有するルッキズムを露呈させていることに他なりません。

短い文章で発信するXの性質については「今後も継続していっそう注意を払って臨む所存です」とし、最後はこう結ばれています。

投稿に書かれていない内容を恣意的に読み込み、そうした曲解に基づいて投稿者や所属組織に非難を行う行為は、それを行った者自身の責任が問われる結果になりうることを警告しておきます。

つまり解説は、謝罪や撤回ではありません。 意図は麻生太郎氏への批判であり、差別ではない。批判の多くは「曲解」だ――という説明です。

大学と学会の対応

東京大学は、9月3日の時点で、J-CASTニュースの取材に次のように答えています。

ご指摘のSNS上の投稿については承知しております。本学では『構成員は、人権を尊重し、高い倫理観を持って行動しなければならない』と定めています

さらに9月8日には、同じ取材に対して、教育学研究科長が本田教授に注意したことを明らかにしました。

今般の本田教授のSNS上の投稿に関して、本人にその意図がなかったにせよ、差別的な発言という本学の基本的な方針にも反する社会からの受け止めが一定あったことを踏まえ、教育学研究科長から本人に対し、個人のSNS投稿についても十分考慮して行うよう注意をしたところです。

本田教授が会長を務める日本教育学会の事務局は、9月3日に「倫理委員会において対応を検討中です」と答え、9月7日には「『解説』については把握しています。この『解説』も含めて現在、倫理委員会で検討中です」と答えています。

大学・学会とも、公式サイトに声明は出ていません(9月19日時点)。


元の投稿と解説を比べてみる

本人が「私はこういう意味で書いた」と説明すること自体は、当然の権利です。筆者は、解説が述べる意図を否定するつもりはありません。本田教授が心の中で何を考えていたかは、本田教授にしか分からないからです。

ただ、書いた人が後から示した意味と、最初の投稿を読んだ人が自然に受け取る意味は、同じとは限りません。

問うべきは、次の一点だと思います。

最初の投稿だけを見て、その意図は一般の読者に伝わる表現だったのでしょうか。

読者が目にしたもの

投稿を見た人の画面に並んでいたのは、次の三つです。

  1. 女性皇族のお二方の、お顔を大きく写した写真
  2. 「さもしい彬子」「皇籍離脱させるべき」「麻生の血筋から天皇を出すんですか?」という言葉
  3. 「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる」という一文

引用元の投稿は、麻生太郎氏にも触れています。ですから、本田教授の一文を麻生氏への批判として読む余地が、まったくないとは言えません。

しかし「この人たちを目にするたびに」と書かれています。目にするのは、写真に写った方々です。実際、解説自身も「露出」を「三笠宮彬子女王やその妹の瑶子女王がマスメディア等に登場するたびに」と説明しています。「この人たち」とは、お二方のことです。

そのお二方を目にするたびに感じるのが、「遺伝的要因のおそろしさ」だ――。

この並びから、「麻生太郎氏の、血縁者を優遇する行為への批判」という意味を読み取るのは、かなり難しいのではないでしょうか。

読者の画面と、後から出た解説

「遺伝的要因」と「血縁者」は、置き換えられる言葉か

解説は、「遺伝的要因」を「血縁者」「親族」と代わりに使える意味で用いた、と述べています。

けれど、多くの人が「遺伝的要因」と聞いて思い浮かべるのは、親から子へ受け継がれる体質や性質でしょう。「血縁者を優遇すること」を指して「遺伝的要因」と言う使い方は、普通の読み方とはかなり離れています。

解説が言うとおり、改正皇室典範の養子制度は血筋にもとづく制度です。けれど、制度が血筋にもとづいていることと、特定の方々を目にして「遺伝的要因のおそろしさ」を感じると書くことは、別のことです。前者は制度の話ですが、後者は、目の前の人について語る言葉として読まれます。

もし最初から「親族を優遇する政治のおそろしさを感じる」と書かれていたら、受け止め方はまったく違ったはずです。

「容姿に言及していない」について

本田教授の一文に、容姿を指す言葉がないのは事実です。

ただ、お顔を大写しにした写真が添えられた投稿を引用し、「この人たちを目にするたびに」と書けば、容姿の話だと受け取る人が出るのは、無理のないことだと思います。それを「読み取る者自身が有するルッキズム」と、読み手の側の問題にしてしまうのは、公平ではないように筆者には思えます。

解説が触れていないこと

もう一つ、事実として指摘しておきます。

解説は、引用元の投稿にあった「さもしい」「皇籍離脱させるべき」といった言葉には、触れていません。本田教授は、その投稿を引用して自分の言葉を添え、自身のフォロワーに広げました。その言葉をどう考えているのかは、解説からは分かりません。

学者の言葉だからこそ

大学教授にも、当然、言論の自由があります。専門外のことに意見を述べてもかまいません。

ただ、本田教授は東京大学の教授であり、日本教育学会の会長です。その投稿は800万回以上閲覧されました。社会に届く力が大きい人ほど、SNSの一文が与える影響も大きくなります。

とくに「遺伝」「血筋」「皇族」は、どれも非常に敏感な言葉です。そうした言葉を使うときに問われるのは、「誤解された」かどうかよりも先に、「誤解されにくい言葉を選んだか」ではないでしょうか。

解説にも「検討の余地がある」「いっそう注意を払って臨む」という言葉があります。筆者は、その部分こそを大切にしてほしいと考えます。


皇族について批判すること自体は、悪いことではない

ここで、はっきりさせておきます。

この記事は、皇族への批判を封じようとするものではありません。 日本国憲法は、表現の自由を保障しています。

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 ――日本国憲法 第21条第1項

皇室をめぐっては、国民が自由に議論してよいテーマが数多くあります。

  • 女性天皇・女系天皇を認めるべきか、認めるべきでないか
  • 皇位継承制度はこのままでよいのか
  • 旧宮家の男系男子を養子に迎える制度は妥当か
  • 皇族費の額や増額は妥当か
  • 皇族方の公的なご活動のあり方
  • 皇族数の減少や、女性皇族の身分をどうするか
  • そもそも皇室制度を続けるべきか

今回の発端となった皇族費の倍増も、税金から支出される以上、国民が「多すぎないか」と問うのは正当なことです。政治家が皇室制度に影響を与えていないか、という問題提起も、それ自体は政治への批判として成り立ちます。

皇室制度の廃止を主張することさえ、表現の自由の内側にあります。 筆者はその考えに賛成しませんが、主張すること自体を否定するつもりはありません。


しかし「批判」と「罵詈雑言」は違う

では、何が問題なのか。筆者は、言葉が何に向いているかで分けて考えるべきだと思います。

制度や判断、行為に向いた言葉は、批判です。

  • 「皇族費を倍にする必要があったのか」
  • 「この制度改正は、特定の家に有利ではないか」

生まれ、容姿、人格に向いた言葉は、批判ではなく攻撃です。

  • 「さもしい彬子」
  • 「コイツ等」
  • 「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる」

前者には、根拠を示して反論することができます。後者は、言われた側がどうすることもできません。生まれや血筋は、本人が変えられないものだからです。

皇族の場合、このことはとくに重い意味を持ちます。皇族方は、ご自分で選んで皇族になったのではなく、生まれによってその立場にあります。「血筋」を理由に投げつけられる言葉は、その方の存在そのものに向けられることになります。

「制度を批判すること」と「その制度のもとに生まれた人を貶めること」は、分けて考えなければなりません。


皇族は、一般の人と同じように反論・法的措置を取れるのか

では、皇族方が侮辱されたとき、法律上はどうなっているのでしょうか。ここは正確に見ておきます。

名誉毀損と侮辱は「親告罪」

刑法は、名誉毀損罪(第230条)と侮辱罪(第231条)を定めています。どちらも、被害を受けた人が告訴しなければ、検察官は起訴できません。これを親告罪といいます。

そのうえで、第232条には特別な定めがあります。

この章の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。 2 告訴をすることができる者が天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣であるときは内閣総理大臣が、外国の君主又は大統領であるときはその国の代表者がそれぞれ代わって告訴を行う。 ――刑法 第232条

宮内庁のサイトも、天皇・皇族の身位に伴う事項として、次のように説明しています。

天皇・皇后・太皇太后・皇太后・皇嗣に対する名誉毀損や侮辱の罪は、内閣総理大臣が代わって告訴する(刑法第232条)。

ここで、見落としやすい点が二つあります。

① 内閣総理大臣が代わるのは、5つの立場の方だけです。 天皇、皇后、太皇太后、皇太后、皇嗣に限られます。それ以外の皇族方――たとえば女王――は、ここに含まれません。 法律の文面の上では、一般の人と同じく、ご本人が告訴するかどうかを決める立場です。

② これは刑事の告訴についての規定です。 名誉を傷つけられたとして損害賠償を求める民事の訴えは、まったく別の手続きです。第232条は、民事の訴えについて定めたものではありません。

つまり、「皇族は訴えることができない」という言い方は、法律の説明としては正しくありません。

刑法第232条 誰が告訴するのか

この条文は、なぜ作られたのか

では、なぜ天皇などについては、ご本人ではなく内閣総理大臣が告訴することにしたのでしょうか。条文ができた1947年の国会で、政府がその理由を説明しています。

天皇は國家の象徴であらせられますると同時に、國民統合の象徴たる地位を有せられておるのでありまして、かような地位にある方は、一面自分一個のことでありましても、やはり自己が象徴するところの國民の一人に対して刑事訴追を求めるということは、その象徴たる地位から見ましてふさわしくない、又到底これを期待することもできない ――1947年8月13日 参議院司法委員会 國宗榮 司法省刑事局長

同じ年の10月には、司法次官が、皇后以下の方々についても同様だと述べています。

天皇並びに皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣という方は天皇と同樣に、國民の一人に対して、たとえそれが名譽毀損の加害者であつても、それを告訴されるというようなことは到底期待することができきません ――1947年10月7日 参議院司法委員会 佐藤藤佐 司法次官

法律を作った側が、最初から「天皇が国民を告訴することは期待できない」と考えていたのです。

内閣は、慎重だった

では、内閣総理大臣は、実際にこの告訴をしてきたのでしょうか。

1974年、皇室を侮辱する文書が出回っているとして、内閣総理大臣は告訴すべきではないかと問う質問主意書が、参議院議員から出されました。三木武夫内閣の答弁書は、こう答えています。

御指摘のような文書は、表現の自由を濫用したもので、かかる文書の発行は、誠に遺憾である。しかしながら、これが例え名誉毀損罪ないしは侮辱罪に該当するとしても、告訴して裁判がなされる過程において、かえつて皇室にいらざる迷惑の及ぶおそれもあり、告訴については、慎重を期すべきものと考える。 ――1974年12月24日 内閣答弁書(参議院議員源田実君提出の質問に対する答弁)

政府自身が、「裁判になること自体が、皇室に迷惑を及ぼしうる」と考えていたことが分かります。

前例は確認できなかった

国会会議録と参議院の質問主意書、宮内庁の公表資料で確認した範囲では、内閣総理大臣が第232条第2項によって告訴した例も、皇族方ご自身が名誉毀損を理由に国民を告訴・提訴された例も、見つかりませんでした。 すべての裁判記録を網羅して確かめたわけではありませんので、「一度もない」とまでは言えません。

宮内庁が取ってきた対応は、法廷ではなく、事実を示す方法でした。宮内庁は、事実と大きく異なる報道については、必要に応じて「正確な事実関係を指摘する」としています。


「訴えられない相手だから言っていい」は許されるのか

ここが、この記事で一番考えたいところです。

政治家が批判されたら、どうするでしょうか。

  • 記者会見で反論する
  • 自分のSNSで言い返す
  • テレビ番組に出て説明する
  • 行き過ぎた言葉には、法的措置を取る

政治家は、言われたら言い返せる立場にあります。批判する側も、それを分かったうえで言葉を選びます。

皇族方は、そうはいきません。天皇は国政に関する権能を持たない(憲法第4条)とされ、皇族方も、今回のように政治家の行動をめぐる言い争いの中に名前が出ても、そこに加わって反論されることは考えにくいでしょう。国民一人ひとりのSNSの投稿に、ご自身で言い返されることもありません。

法律上は告訴や民事の訴えができる方がいても、先に見たとおり、それを行った例は確認できません。

ここで、問いを立てたいと思います。

反論しにくい相手に対して、発言する側の責任は軽くなるのでしょうか。それとも重くなるのでしょうか。

筆者は、重くなると考えます。

相手が言い返せないなら、自分の言葉が行き過ぎていても、誰にも止められません。止める役目は、発言する自分自身が負うしかないのです。

だから、「どうせ反論してこない」「どうせ訴えられない」と分かったうえで、人を傷つける言葉を向けるのは、卑劣なことだと筆者は考えます。 これは筆者の評価です。

念のために書き添えますが、本田教授がそう考えて投稿した、と言っているのではありません。その動機は、筆者には分かりません。ただ、皇族方が反論されないことを、発言する側の免罪符にしてはいけない――このことは、誰の投稿であっても変わらないと思うのです。

言い返せる人と、言い返しにくい人


天皇・皇族と国民が、法廷で争うということ

もう一歩、踏み込みます。

筆者は、天皇・皇族が国民と法廷で争う構図は、あってはならないと考えています。

これは、法律でそう決まっているという意味ではありません。先に見たとおり、法律は告訴の道を用意しています。筆者の価値判断として、そう考えるということです。

理由は、天皇の地位にあります。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 ――日本国憲法 第1条

天皇は、国民を「統合する」象徴です。その天皇や、天皇を支える皇族方が、国民の一人を相手に「あなたは私の名誉を傷つけた」と争う。「皇室 対 国民」という対立の構図そのものが、象徴としての役割と相いれないのではないでしょうか。

1947年の政府答弁も、1974年の内閣答弁書も、表現は違いますが、同じことを見ていたように思います。皇室が法廷に立つこと自体が、皇室にとって大きな負担になるということです。

一方で、逆の方向にも注意が必要です。

「皇族のことを悪く言うな」と、皇族という立場を持ち出して、正当な批判まで封じてしまうのも、同じくらい危うい。皇族方ご自身は、それを望んでおられないはずです。

守られるべきなのは、皇族方の人としての尊厳です。皇室制度への批判ではありません。


皇族だからこそ、国民の側に節度が必要ではないか

ここまでをまとめると、筆者の考えはこうなります。

「皇族だから批判するな」ではありません。「皇族だからこそ、批判するなら責任を持って」です。

皇族方は、言い返すことも、法廷で争うことも、現実にはほとんどできない立場にあります。その分、線を引く役目は、言葉を向ける国民の側にあります。

皇族について何か書きたくなったとき、次のことを自分に問いかけてみてはどうでしょうか。

  • 自分が批判しているのは、制度や判断だろうか。それとも、生まれや容姿や人格だろうか
  • その言葉に、根拠を示せるだろうか
  • お顔の写真に添えたら、読む人にどう伝わるだろうか
  • 相手が反論できる立場だったとしても、同じ言葉を使うだろうか

最後の問いが、一番大切だと思います。相手が言い返せないことは、言葉を強くしてよい理由にはなりません。


別の見方

筆者とは異なる立場からの見方も、紹介しておきます。

  • 皇族は公費で活動する公的な存在であり、厳しい目を向けられるのは当然だという考え方があります。筆者も、公的な立場への批判が厳しくなるのは当然だと思います。ただ、公的な立場にあることと、生まれを揶揄されてよいことは、別の問題だと考えます。
  • 解説のとおり、投稿は麻生太郎氏への政治的な批判として読むべきだという考え方もあります。書いた本人の説明を尊重すべきだ、という立場です。
  • 大学が教員の個人的なSNS投稿に注意をすることは、言論や学問の自由を萎縮させるという懸念もあります。大学教員の発言にどこまで組織が関わるべきかは、今回の件とは別に、慎重に考えるべき論点です。

筆者の考え

最後に、筆者の考えを書きます。

これは、本田教授の研究や、これまでの発言全体を論じるものではありません。今回の投稿と、その後の解説についての問題提起です。

筆者は、今回の投稿は、解説が述べる意味を伝えるのに、ふさわしい表現ではなかったと考えます。お顔の写真と「さもしい」という言葉が並ぶ投稿を引用して、「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる」と書けば、多くの人が皇族方への言葉だと受け取るのは自然なことです。

解説は、その受け止めを「曲解」と呼び、読み手の側の問題としました。けれど、東京大学の教授であり、学会の会長である方の言葉だからこそ、まず「誤解されにくい言葉を選べたか」を自ら問うてほしかった、と思います。

そして、今回の出来事で筆者が一番考えさせられたのは、言われた皇族方が、何もおっしゃらないということです。

お二方は、この投稿に反論されていません。これからも、おそらくそうでしょう。それは、皇族方が言い返さないことを求められる立場にいらっしゃるからだと思います。何もおっしゃらないことは、言葉が届いていないことを意味しません。

反論できない相手だからこそ、自分の言葉に責任を持つ。 皇族方について語るとき、これを忘れないでいたいと思います。


結論

「皇族だから批判してはいけない」ということではありません。皇位継承のあり方も、皇族費の額も、皇室制度そのものも、国民が自由に議論してよいものです。今回の発端になった皇族費の倍増も、問われてしかるべきテーマでした。

けれど、自由に批判できることと、何を言っても許されることは違います。 制度や判断への批判と、生まれや容姿や人格への攻撃は、別のものです。

本田教授の投稿は、彬子女王殿下を「さもしい」と呼ぶ投稿を引用し、お二方のお顔の写真とともに「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる」と書くものでした。後から示された解説は、それを麻生太郎氏への批判だったと説明しています。しかし、最初の投稿の並びから、その意味を読み取るのは難しいと筆者は考えます。

そして皇族方は、政治家や著名人とは違い、自らSNSで反論することも、国民を相手に法的措置を取ることも、現実には極めて難しい立場にあります。刑法第232条は告訴の道を用意していますが、条文を作った政府自身が1947年に「到底期待することができない」と説明し、1974年の内閣も、裁判の過程でかえって皇室に迷惑が及ぶ恐れがあるとして、慎重な姿勢を示しました。

だからこそ、「反論してこないから」「訴えられないから」という理由で、人を傷つける言葉を浴びせることは許されない。 自由な言論には、責任が伴います。皇族方に対しては、その特殊な立場を踏まえた、最低限の節度が必要なのではないでしょうか。


参考・出典