2026-09-08

連載「皇室をもっと知る」第8回(全9回)

なぜ即位の儀式は半年かかるのか

なぜ即位の儀式は半年かかるのか ―― 即位礼と大嘗祭が同じ日に行われない理由

令和の代替わりを覚えておられるでしょうか。

2019年5月1日、新しい天皇陛下が三種の神器を受け継がれ、令和が始まりました。

けれど、即位に伴う儀式が終わったのは、それから半年以上たった11月15日です。

しかも、平成の代替わりはもっと長くかかりました。 昭和天皇の崩御は1989年1月7日。即位礼が行われたのは1990年11月12日――約1年10か月後のことでした。

なぜ、一日でまとめて済ませないのでしょうか。

先に、この記事の結論をお伝えします。待たなければならないものが、三つあるからです。 稲の実り、準備そのもの、そして先帝の喪。この三つが、代替わりの時間割を決めています。

なお、大嘗祭の中身は大嘗祭とは何かで扱いました。この記事は、なぜ両者のあいだに時間があるのかに絞ります。


令和の代替わりは、こう進んだ

まず、実際の流れを見てみます。

令和の代替わり ―― 半年以上の道のり

  • 2019年5月1日 ―― 剣璽等承継の儀、即位後朝見の儀。皇位を継承されたことを、内外に示す。
  • 5月13日 ―― 斎田点定の儀(さいでんてんていのぎ)。大嘗祭で使う米をつくる田を決める。
  • 10月22日 ―― 即位礼正殿の儀。即位を国内外に宣言される。
  • 11月14日〜15日 ―― 大嘗宮の儀。即位後はじめての新嘗祭。

5月に始まり、11月に終わる。 約6か月半です。

一日で終わりそうなものを、なぜここまで引き延ばすのか。理由は三つあります。


理由① 稲が実るのを、待たなければならない

一番大きな理由が、これです。

大嘗祭は、新嘗祭です。 正確には、天皇が即位後にただ一度だけ行われる新嘗祭を、大嘗祭と呼びます。

新嘗祭は、その年に収穫された新穀を神々にお供えし、感謝する祭祀です(なぜ天皇は祈るのかで見たとおり、毎年11月23日に行われます)。

つまり――新穀がなければ、大嘗祭は行えません。

稲は、春に植えて秋に実ります。どんなに急いでも、収穫を待つしかない。 だから大嘗祭は、必ず秋以降になります。

5月に即位されても、大嘗祭は11月まで待つ。 この一点だけで、半年の空白は説明がついてしまいます。

しかも、11月のどの日に行うかにも、古くからの決まりがあります。1990年、宮内庁次長は国会でこう説明しました。

古来、大嘗祭は諒闇後の十一月の卯の日、下の卯の日でございますが、それに行われるのが常例とされておりまして、今回も十一月の二十二日が下の卯の日に当たりますので ――衆議院 内閣委員会(1990年4月17日)政府委員・宮尾盤 宮内庁次長

「十一月の下の卯の日」。 稲を待つだけではなく、暦のうえで決まった日を待つのです。


理由② 米をつくる田から、決めなければならない

さらに、ただの新米ではありません。

大嘗祭に用いる米は、斎田(さいでん)と呼ばれる特別な田でつくられます。そしてその田をどこにするかは、占いで決められます。

斎田点定の儀 ―― 亀の甲羅で占う

令和元年5月13日、斎田点定の儀が行われました。日程と場所は、前年の国会で宮内庁次長が説明しています。

斎田点定の儀は即位の年の五月十三日に皇居神殿において行われる予定でございます。 ――衆議院 内閣委員会(2018年11月30日)政府参考人・西村泰彦 宮内庁次長

用いられたのは、亀卜(きぼく)という古代からの占いです。

  • 東京都小笠原村の海亀から得た甲羅を、職人が薄く加工して用意する。
  • 火をおこし、波波迦(ははか)の木を焚いて、甲羅を焼く。
  • 入ったひび割れの形から、産地を選ぶ。

こうして、東日本の悠紀(ゆき)地方からは栃木県、西日本の主基(すき)地方からは京都府が選ばれました。

儀式は非公開で、およそ40分。この儀式そのものが、見せない祈りの一つです。

田が決まってから、田植え、収穫、そして皇居東御苑に大嘗宮を新たに造営する。その全部に時間がかかります。


理由③ 先帝の喪を、経なければならない

三つ目は、崩御による代替わりの場合にだけ生じる理由です。

諒闇(りょうあん)――天皇が父母の喪に服される期間のことです。先帝が崩御されて皇位を継がれた場合、喪のさなかに祝いの儀式を行うことはできません。

平成と令和 ―― なぜ長さが違ったのか

だから、平成の代替わりは長くかかりました。

平成 令和
始まり 昭和天皇の崩御(1989年1月7日) 上皇陛下のご退位(2019年4月30日)
即位礼正殿の儀 1990年11月12日 2019年10月22日
大嘗祭 1990年11月22日〜23日 2019年11月14日〜15日
皇位継承からの期間 約1年10か月 約6か月半

平成は、喪が明けるのを待ち、そのうえで稲の実りを待ったため、翌年の秋までずれ込みました。

一方の令和は、ご退位による代替わりだったため、諒闇がありません。 その分だけ短くなり、同じ年のうちに一連の儀式が終わりました。

同じ「即位」でも、始まり方によって時間割が変わる。 ここは、意外と知られていないところだと思います。


だから、性格も分かれた

こうして時間が空いた結果として、二つの儀式は役割の違いもはっきり持つことになりました。

  • 即位礼 ―― 即位を国内外に宣言する、国家の儀式(国事行為)。
  • 大嘗祭 ―― 皇祖神に奉告し祈る、皇室の祭祀。

大嘗祭については、大嘗祭とは何かで詳しく整理しました。ここでは、「時期が違うのは、性格が違うからでもあり、稲を待つからでもある」という二重の理由を押さえておけば十分です。


【補足】費用をめぐる議論

ここからは、少し話題が変わります。時間の話からは離れますが、大嘗祭を語るうえで避けて通れない論点なので、あわせて触れておきます。費用の出どころです。

大嘗祭は宗教的な性格を持つため、これに公金を支出することが政教分離に反しないか、という議論が続いてきました。政府は、大嘗祭を国事行為ではなく「公的性格を有する皇室行事」と位置づけ、宮廷費から支出しています(なぜ天皇は祈るのかで見た、1990年の内閣法制局長官答弁)。

そして令和の代替わりを前に、この点について皇族ご自身から言及がありました。

2018年11月、秋篠宮殿下が誕生日にあたっての記者会見で、この点に踏み込まれました。宮内庁が公表している会見録から引きます。

大嘗祭については,これは皇室の行事として行われるものですし,ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて,それを国費で賄うことが適当かどうか,これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけです ――宮内庁「文仁親王殿下お誕生日に際し」(平成30年)

そして、こう続けられます。

宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに,それは,私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。今でも。

ここで、誤解されやすい点を押さえておきます。 殿下は、大嘗祭そのものに反対されたのではありません。同じ会見で、はっきりこう述べられています。

大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。 ただ,そのできる範囲で,言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。

「やるべきだ。ただし身の丈に合った規模で、内廷会計で」 ――これが発言の中身です。「大嘗祭に反対された」という受け取り方は、正確ではありません。

そのうえで、宮内庁長官などに繰り返し伝えたものの容れられなかった、とも語られました。

残念ながらそこを考えること,言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています。

皇族が政府の方針に公然と疑問を示されたことは異例であり、当時、各紙が大きく報じました。

この記事は、賛否のどちらかに立つものではありません。そうした議論があったという事実を、記録として押さえておきます。


別の見方

代替わりの進め方については、いくつかの見方があります。

  • 「順序と間隔に意味がある」という立場 ―― 稲の実りを待ち、喪を経てから祝う。この時間の使い方そのものが伝統であり、短縮すべきではない、という考え方です。
  • 「簡素化すべきだ」という指摘 ―― 一連の儀式には多額の費用と長い準備期間がかかります。大嘗宮も、儀式のあと取り壊されます。負担を軽くすべきだ、という意見があります。
  • 「政教分離の観点から見直すべきだ」という主張 ―― 宗教的性格の強い儀式を公的行事として国費で行うことに、憲法上の疑義がある、という立場です。

いずれも筋の通った議論であり、どれか一つが正しいというものではありません。


筆者の考え

ここからは、筆者の考えです。

この話で一番考えさせられるのは、皇室の時間割が、稲に合わせてあるという点です。

現代の国家行事なら、日程は都合で決められます。関係者の予定、国際情勢、準備の進み具合。人間の側の都合が優先されるのが普通です。

けれど大嘗祭は違います。稲が実るまで、待つ。 どれほど急ぎたくても、自然の側が「まだだ」と言えば、待つしかない。

そしてもう一つ、先帝の喪が明けるまで待つ。前の代への敬意が済むまで、次の祝いは始めない。

人の都合ではなく、自然と、先の代に合わせる。 そういう時間の測り方が、今も残っているということです。

この連載でくり返し見てきたのは、理由が説明されないまま続いてきたものでした。祈りの根拠法はない。遷宮の理由は書かれていない。神器の中身は問われない。

けれど代替わりの時間割だけは、理由がはっきりしています。稲を待つ。喪を待つ。 とても具体的です。

そして、稲は待ってくれません。

人が予定を決めるのではなく、予定のほうを自然に合わせる。 その感覚が千年以上も続いていること自体が、皇室の時間の流れなのだと思います。


まとめ

  • 令和の代替わりは、2019年5月1日の剣璽等承継の儀から11月15日の大嘗宮の儀まで、約6か月半かかった。平成は、昭和天皇の崩御(1989年1月7日)から即位礼(1990年11月12日)まで約1年10か月。
  • 理由① 大嘗祭は新嘗祭であり、その年の新穀が必要。稲の収穫を待つため、必ず秋以降になる。日取りにも「諒闇後の十一月の下の卯の日」という古来の常例がある(1990年 宮内庁次長答弁)。
  • 理由② 米をつくる斎田は占いで決める。令和元年5月13日の斎田点定の儀では、亀卜により悠紀地方=栃木県/主基地方=京都府が選ばれた。田植え・収穫・大嘗宮の造営にも時間がかかる。
  • 理由③ 崩御による代替わりでは、諒闇(先帝の喪)を経る必要がある。令和はご退位による代替わりで諒闇がなく、その分短くなった。
  • 二つの儀式の性格も異なる。即位礼=国家の儀式(国事行為)/大嘗祭=皇室の祭祀。
  • 大嘗祭の費用は宮廷費から支出されており、政教分離の観点からの議論が続く。2018年11月、秋篠宮殿下が誕生日会見で「内廷会計で行うべきだと思っています。今でも。」と述べられ、異例のこととして報じられた。ただし同じ会見で「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います」とも明言されており、儀式そのものへの反対ではない。

次回

いよいよ、この連載も最終回です。

祈り、遷宮、神器、皇居、伊勢、宮中祭祀、そして代替わり。ここまで見てきたものを踏まえて、最後に一番大きな問いを扱います。

次回・第9回は、「なぜ皇室は「世界最古の王家」と呼ばれるのか ―― 神話・歴史・皇統から読み解く」。この言い方はどこまで正確なのか、神話と歴史を注意深く分けながら考えます。


参考・出典

※ 斎田点定の儀で用いられた亀の甲羅の産地(小笠原村)、波波迦の木、悠紀=栃木県/主基=京都府、所要時間については、一次資料にあたれていません。