2026-07-31

なぜ皇族は養子を迎えられないのか ―― 皇室典範第9条の意味
旧宮家の男系男子を「養子」として皇室に迎える案(案②)。2026年7月17日に成立した改正皇室典範の、二本の柱の一つです。
けれど、ここで一つ、大事な前提があります。もともとの制度では、皇族は養子を迎えることができません。禁止されているのです。だからこそ案②は、新しい仕組みを作るというより、「禁止に例外を設ける」という形の改正になりました。
では、そもそもなぜ、皇族だけが養子を禁じられているのでしょうか。今回は、この「養子禁止」というルールの意味を、条文・理由・歴史から掘り下げます。
結論 ―― 禁止は「皇統を守るため」の仕組み
先に、要点をまとめておきます。
- 皇室典範第9条は、「天皇及び皇族は、養子をすることができない」と明文で定めています。
- この禁止は、明治の旧皇室典範(第42条)から受け継がれてきたものです。
- ただし、歴史上は違います。跡継ぎが絶えたとき、宮家から養子・猶子を迎えた例はあります(後花園天皇・光格天皇)。避けられてきたのは、皇統の外から養子を迎えることでした。
- 理由は、大きく三つ。皇位継承の秩序を安定させること/皇統(男系の血筋)に属さない人を皇位に近づけないこと/皇族の数を人為的に操作させないことです。
- 今回の改正(案②)は、この原則を保ったまま、旧宮家の男系男子に限って例外を認める、という形をとりました。
要するに養子禁止は、皇統という長い血筋を、恣意(しい)から守るための仕組みです。順番に見ていきましょう。
皇室典範第9条 ―― 条文を読む
まず、条文そのものです。短いので、そのまま引用します。
天皇及び皇族は、養子をすることができない。 ――皇室典範 第9条
たった一文ですが、意味は重いものです。天皇も皇族も、他人の子を養子として迎え入れることができない、と定めています。
私たち一般国民は、民法にもとづいて養子縁組ができます。跡継ぎのため、あるいは家庭の事情のために、養子という仕組みを使うことは珍しくありません。けれど、皇室にはそれが認められていない。ここが、皇族と一般国民の、制度上の大きな違いの一つです。
なお、2026年の改正でこの条文にも手が入りました。改正後は、こうなります。
天皇及び皇族は、第38条第1項の規定による場合を除き、養子をすることができない。 ――皇室典範 第9条(2026年改正後)
禁止という原則は、条文の形のまま残りました。 加わったのは「第38条第1項の場合を除き」という一句だけ。あとで見るように、この第38条が例外の中身を定めています。
なぜ、禁止されているのか
では、なぜ皇族だけが養子を禁じられているのでしょうか。理由は、大きく三つに整理できます。
① 皇位継承の秩序を、安定させるため。 皇位は、皇室典範が定める順序にしたがって受け継がれます。もし養子を自由に迎えられれば、養子縁組によって継承順位が人為的に動き、順序が不安定になりかねません。誰が皇位を継ぐのかは、血筋という動かせない事実で決まるべきだ――養子禁止には、そういう考え方があります。
② 皇統に属さない人を、皇位に近づけないため。 歴代の天皇は、例外なく父方をたどれば天皇に行きつく「男系」で受け継がれてきました。もし養子が認められれば、皇統とは無関係な人が、養子縁組を通じて皇族となり、皇位に近づく可能性が生まれます。それを防ぎ、皇統という血筋を守るための歯止めが、養子禁止です。
③ 皇族の数を、人為的に操作させないため。 養子を自由に認めれば、時々の都合で皇族を増やしたり、特定の家系を皇室に引き入れたりすることが可能になってしまいます。皇室が、政治や恣意によって形を変えられることのないように――そうした懸念も、背景にあります。

三つは別々のようでいて、根っこは一つです。皇統を、その時々の都合から切り離して守る。それが、養子禁止というルールの核心です。
実は、宮家からの「養子」は行われてきた
ここで、誤解しやすい点を一つ、はっきりさせておきます。
歴史をふり返ると、皇室はむしろ、養子という形を使ってきました。 跡継ぎが絶えたときに宮家から次の天皇を迎える――そのとき、先帝の養子(あるいは猶子〔ゆうし〕)となるという形が整えられたのです。
- 後花園天皇……1428年、称光天皇が跡継ぎを残さずに亡くなり、伏見宮家から迎えられました。即位に先立ち、後小松上皇の猶子となっています。
- 光格天皇……1779年、後桃園天皇が男子を残さずに崩御し、閑院宮家から迎えられました。後桃園天皇の養子となる形で、皇位を継いでいます。
猶子とは、養子よりも結びつきのゆるい形で、生家を離れないまま親子の名目を結ぶものです。呼び方は違っても、「前の天皇の子」という筋道を整えるために、養子・猶子という仕組みが使われたことに変わりはありません。
では、何が避けられてきたのか
大事なのは、迎えられたお二人が、どちらも、もともと皇統に属する男系男子だったという点です。伏見宮も閑院宮も、父方をたどれば天皇に行きつく宮家。血筋の外から人を連れてきたわけではありません。
つまり、避けられてきたのは「養子」という仕組みそのものではありませんでした。避けられてきたのは、
皇統に属さない人――ひらたく言えば、皇室の外にいる一般の人――を養子に迎えて、皇位につなげること
こちらです。跡継ぎが絶えるという最大の危機に直面したときでさえ、この方法だけは、一度もとられませんでした。皇位は、歴史を通じて一貫して男系の血統で受け継がれてきたのです。

明治になって、条文で一律に禁じられた
とはいえ、「皇族は養子を迎えられない」という決まりが、はっきりとした法の条文になったのは、近代になってからです。明治22年(1889年)の旧皇室典範が、第42条で「皇族ハ養子ヲ為スコトヲ得ス」と定め、皇族の養子を一律に禁じました。
宮家からの養子まで含めて、なぜ全部を禁じたのでしょうか。国会に提出された質問主意書は、この立法趣旨を次のように整理しています。伊藤博文の名で出された解説書『皇室典範義解(こうしつてんぱんぎげ)』が挙げた理由として、「宗系紊乱(そうけいびんらん)の門を塞ぐ」――皇統が乱れる入口を塞ぐこと――に加え、「君臣の別」を明確にすること、そして皇族の身分を当事者の私的な判断で増減させないことである、と。
養子は、人の意思で親子関係をつくる制度です。それを、できるだけ人為の入り込まない皇位継承の枠組みに持ち込めば、継承の順位や正統性をめぐる争いの種になりかねない。だから、例外を残さず、入口ごと塞いだ、というわけです。
そして旧皇室典範は、もう一枚の歯止めまで用意していました。
皇位繼承ノ順序ハ總テ實系ニ依ル 現在皇養子皇猶子又ハ他ノ繼嗣タルノ故ヲ以テ之ヲ混スルコトナシ ――旧皇室典範 第58条
継承の順序は、すべて実系――生まれたときの血筋――で決める。すでに皇養子や皇猶子になっている場合でも、それによって順序を動かすことはしない、という意味です。養子を禁じたうえで、さらに「仮に養子であっても順位は実系で数える」と念を押していたわけです。
この考え方は、覚えておいてください。2026年の改正にも、そのまま生きています。
そして戦後、日本国憲法のもとで作り直された現在の皇室典範も、これを第9条として引き継ぎました。形は変わっても、「血統でつなぐ」という原則は、一貫して守られてきたのです。
今回の改正 ―― 原則を保ったまま、例外を開く
ここで、2026年7月に成立した改正に戻ります。
案②は、この養子禁止(第9条)に、例外を設けるものです。ただし、誰でも養子にできるようにしたわけではありません。対象は、1947年に皇室を離れた旧11宮家の子孫である男系男子に限られます。
なぜ、この限定なのか。ここまで見てきた養子禁止の理由を思い出すと、筋が通ります。
- 旧宮家の男系男子は、もともと皇統に属する男系です。だから、「②皇統に属さない人を皇位に近づけない」という原則を、破ることになりません。
- 対象を旧11宮家に限ることで、「③人為的な操作」への歯止めも保たれます。
- 養子となった本人には皇位継承資格がないという設計により、「①継承秩序の安定」にも配慮されています。
迎える側にも、限りがあります。 養親になれるのは親王・親王妃・内親王・王・王妃・女王で、皇嗣(秋篠宮皇嗣殿下)とそのお妃は除かれました(第38条第1項)。そして天皇は、この例外の対象に入っていません。 天皇については、養子禁止が条文の形のまま、まるごと残ったことになります。
もっとも重い立場にこそ、例外を認めない。「①継承秩序の安定」を、いちばん近いところで守った形だと言えます。詳しいしくみは、次回に見ていきます。
そして先ほどの旧皇室典範第58条――「継承の順序は実系による」――を思い出してください。今回の改正も、養子となった方とその子孫の皇族としての地位を実方(じっかた)の系統、つまり生まれた家の系統で数えると定めました。明治が置いた二枚目の歯止めが、そのまま引き継がれているのです。
つまり案②は、養子禁止という原則を否定するのではなく、その趣旨を守れる範囲で、限定的に例外を開くという形をとったのです。

筆者の考え
ここからは、筆者の考えです。
筆者は、この養子禁止というルールを、「皇統の外にいる男子が、政略によって皇室に入り込むことを、ことごとく防いできた歴史」として読んでいます。
ここは、区別が要ります。先に見たとおり、宮家から養子・猶子を迎えることは、実際に行われてきました。後花園天皇も光格天皇も、その形で皇位を継いでいます。皇室が拒んできたのは、養子という仕組みそのものではありません。皇統に属さない家から男子を迎えて、皇位につなげること――防がれてきたのは、こちらです。
もし皇統の外からの養子まで自由に認められていれば、力を持つ者が、自分に近い男子を皇族に送り込み、やがて皇位に近づける――そうした政略が、いくらでも可能になります。歴史をふり返れば、外戚(がいせき)が絶大な権力を握った時代もありました。それでも皇統そのものが乗っ取られなかったのは、皇位を継ぐのは男系の血筋に限る、という一線が、頑として守られてきたからです。養子禁止は、その一線を守る、静かで頑丈な歯止めでした。
この男系というルールを守り抜いたことは、結果として、とても大きな意味を持ったと筆者は考えています。誰が皇位を継ぐのかが血筋で定まっていれば、その座をめぐる国内の争いは起きにくい。皇統に外から付け入る隙も、生まれにくい。争いの芽を断ち、外からの介入を許さなかったからこそ、皇統は二千年を超えるとも言われる長い歴史のあいだ、途切れずに続いてきた――そう考えると、この一見地味なルールの重みが、改めて見えてきます。
だからこそ、この原則に例外を設ける今回の改正は、慎重に扱われるべきものです。同時に、その例外が「旧宮家の男系男子に限る」「本人に継承資格はない」といった形で、原則の趣旨を壊さないように設計されている点は、重要だと考えています。禁止されてきた理由を踏まえ、その理由を損なわない範囲で開ける。制度の変更としては、筋の通ったやり方です。
そして、歴史に照らしても無理のない形だと筆者は思います。宮家から養子・猶子を迎えるという方法は、そもそも皇室が実際にとってきた道でした。今回開かれた例外は、明治以降いったん閉じたその道を、皇統の内側に限って開け直したもの――そう位置づけることができます。
「養子は禁止されている」という事実だけを取り出すのではなく、なぜ、これほど厳格に禁じられてきたのかまで見ていくこと。その先に、皇統がなぜ長く続いてこられたのかという、大きな問いが見えてくるのだと、筆者は思います。
まとめ
- 皇室典範第9条は「天皇及び皇族は、養子をすることができない」と明文で禁じている。
- この禁止は、明治の旧皇室典範(第42条)から受け継がれてきたもの。
- 理由は三つ。①皇位継承の秩序を安定させる、②皇統に属さない人を皇位に近づけない、③皇族数の人為的な操作を防ぐ。根っこは「皇統を恣意から守る」こと。
- ただし歴史上は、宮家から養子・猶子を迎えた例がある。後花園天皇は後小松上皇の猶子、光格天皇は後桃園天皇の養子。いずれも、もとから皇統に属する男系男子だった。
- 避けられてきたのは、皇統の外=一般の家から養子を迎えて皇位につなげること。その例は一度もない。近代の旧皇室典範が第42条で皇族の養子を一律に禁止し(趣旨は『皇室典範義解』の言う「宗系紊乱の門を塞ぐ」「君臣の別」「皇族の身分を私的な判断で増減させない」)、現行第9条に引き継がれた。
- 旧皇室典範は第58条で、継承の順序は「總テ實系ニ依ル」――仮に皇養子・皇猶子であっても順位は実系で数える――と念を押していた。 養子禁止に加えた、二枚目の歯止め。
- 2026年7月に成立した改正(案②)は、この原則を保ったまま、旧11宮家の男系男子に限って例外を認める形をとった。第9条は「第38条第1項の規定による場合を除き」の一句が加わっただけで、禁止という原則は条文の形のまま残った。
- 迎える側にも限りがある。 養親になれるのは親王・親王妃・内親王・王・王妃・女王で、皇嗣とそのお妃は除かれ、天皇は例外の対象に入っていない(第38条第1項)。天皇については、養子禁止がまるごと残った。
- 改正は、養子とその子孫の皇族としての地位を実方の系統で数えると定めた。旧典範第58条の考え方が引き継がれている。
「養子は禁止されている」。その一文の背後には、皇統を守るための長い工夫があります。禁止の理由を知ることが、その例外を認めるべきかどうかを考える、一番の土台になるのだと思います。
参考・出典
参考書籍
この記事のテーマを、もっと深く知りたい方へ。
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語られなかった皇族たちの真実
竹田恒泰/小学館文庫。旧十一宮家の側から見た皇室2000年。



