2026-08-23

高市総理はなぜ靖国神社を「遥拝」したのか ―― 参拝・玉串料奉納との違い
2026年8月15日、全国戦没者追悼式の開会直前のことです。
会場である日本武道館(東京・北の丸公園)の駐車場で車を降りた高市早苗総理が、靖国神社のある北西の方向に向き直り、二拝二拍手一拝を行いました。総理周辺は、これを「靖国神社に向かって遥拝(ようはい)した」と説明しています。
同じ日、靖国神社への直接参拝は見送られました。かわりに、自民党の鈴木俊一幹事長を通じて、党総裁として私費で玉串料が納められています。
「参拝した」でもなく、「参拝しなかった」でもない。この日の行動は、そのどちらにも収まりません。
では、遥拝とは何なのでしょうか。参拝と、玉串料の奉納と、何が違うのでしょうか。そして――ここが、このサイトで扱う理由なのですが――天皇と靖国神社の関係は、今、どうなっているのでしょうか。
順番に確認していきます。
「遥拝」とは何か
まず、言葉の整理からです。
遥拝とは、遠く離れた場所から、神仏などを拝むことをいいます。「遥(はるか)」に「拝む」と書きます。
対して参拝は、その場所へ実際に足を運んで拝むことです。
- 参拝 ―― その社に行って、拝む
- 遥拝 ―― 離れた場所から、その社の方角に向かって拝む
違いは、身体がどこにあるかです。拝む対象も、拝むという行為そのものも変わりません。
ここで一つ、注意しておきたいことがあります。「遥拝だから宗教的ではない」わけでも、「遥拝だから政治的ではない」わけでもありません。 場所が違うだけで、行為の性格が自動的に変わるものではない、ということです。
8月15日について、記録から言えるのは次の点です。総理は、神社の拝礼の作法である「二拝二拍手一拝」を行いました。作法そのものは、神社で参拝するときと同じものです。
直接参拝・玉串料奉納・遥拝 ―― 三つは別のこと
「靖国神社に行った/行かない」という言い方をすると見えなくなりますが、実際には性格の違う三つの行為があります。
| 直接参拝 | 玉串料の奉納 | 遥拝 | |
|---|---|---|---|
| どこで | 靖国神社の境内 | (神社に納める) | 神社の外 |
| 何をする | 昇殿・拝礼 | 金銭を納める | 方角に向かって拝礼 |
| 神社との直接の関わり | ある | ある(受け取る側がいる) | ない |
| 費用 | 公費か私費かが問われる | 公費か私費かが問われる | 費用が発生しない |

8月15日の高市総理は、このうち「玉串料の奉納」と「遥拝」を行い、「直接参拝」は行いませんでした。
とくに注目したいのが、表の三行目です。遥拝には、神社の側に受け取る相手がいません。境内に入らず、金銭も動かない。神社との間に、直接のやりとりが発生しないのです。
この違いが、あとで見る憲法の話につながってきます。
憲法は、何を定めているか
政治家の宗教的な行為が問題になるとき、必ず出てくるのが憲法です。関係する条文を、そのまま読んでおきます。
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。 ――日本国憲法 第19条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 ――日本国憲法 第20条第1項
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 ――日本国憲法 第20条第3項
ここで、二つの層があることが分かります。
一つは、個人の内心の層です。 何を信じ、誰を悼み、どこに向かって祈るか。第19条が「侵してはならない」としているのは、この領域です。
もう一つは、公の機関の層です。 第20条第3項が禁じているのは、「国及びその機関」の宗教的活動です。
総理大臣という職にある人は、この二つの層をまたいでいます。だからこそ、靖国神社をめぐる議論では、繰り返し「公人としてか、私人としてか」が問われてきました。
ここは、はっきり書いておきます。 遥拝であれば憲法上の問題が絶対に生じない、ということではありません。公職にある人が宗教的な行為を行った以上、第20条との関係を論じること自体は成り立ちます。
ただし、直接参拝や公費支出と比べると、論点の重心が動きます。境内に入らず、公費も動かず、神社の側に受け取る相手もいない。残るのは、「その人が、どこに向かって、何を思って手を合わせたか」という部分です。これは、第19条が守るとした内心の領域に、より近いところにあります。
ここで、天皇と靖国神社の関係を見る
さて、ここからがこのサイトの本題です。
靖国神社をめぐる話は、政治家の参拝ばかりが取り上げられます。けれど、天皇と靖国神社の関係を見ないと、この問題の形は見えてきません。
以前の記事で確認したとおり、昭和天皇は戦後、靖国神社を8度にわたって親拝されました。国会でも、こう述べられています。
天皇が戦後も八回靖国神社へ御参拝……おいでになっている ――1986年3月 衆議院・予算委員会第一分科会
そして、その最後が1975年(昭和50年)11月でした。以後、天皇ご自身が靖国神社に足を運ばれたことはありません。
天皇陛下が靖国神社に御親拝した最後は昭和五十年、一九七五年。以来、御親拝は途絶えております ――2025年3月 衆議院・厚生労働委員会
上皇陛下も、今上陛下も、在位中に靖国神社を親拝されてはいません。
なぜ途絶えたのか。その理由について、公式な説明はありません。 富田メモのように、A級戦犯の合祀と結びつけて読まれてきた資料は存在します。けれど、別の記事で見たとおり、最後の親拝は1975年11月、合祀は1978年10月で、順序が逆です。一つの資料から理由を確定できる、という話ではありません。
「行かない」ことと、「関係を断つ」ことは違う
ここが、この記事で一番お伝えしたい点です。
天皇ご自身の親拝は途絶えました。では、靖国神社と皇室の関係は、そこで切れたのでしょうか。
切れていません。天皇陛下の勅使(ちょくし)が、今も靖国神社に参向しています。
靖國神社が公表している祭儀の説明を読むと、春季例大祭(4月21〜23日)についてこうあります。
この日には、天皇陛下のお遣いである勅使が参向され、陛下よりの供え物(御幣物〈ごへいもつ〉)を献じ、御祭文〈ごさいもん〉を奏上されます。 ――靖國神社「祭事のご案内」
秋季例大祭(10月17〜19日)にも、同じ記載があります。当日祭の午前10時30分が、勅使参向の時刻とされています。
これは最近始まったことではありません。A級戦犯の合祀が報じられた翌年、1979年5月の参議院内閣委員会で、宮内庁次長が明確に答弁しています。
ことしの四月二十二日、靖国神社の春季例祭、勅使御差遣になっております。行っておられます。 ――宮内庁次長、1979年5月 参議院・内閣委員会
さらに、こうも述べています。
各年ともに春秋の例大祭には御掌典をして勅使として御代拝をさせているというのが慣例として続いてきているわけでございまして ――宮内庁次長、1979年5月 参議院・内閣委員会
春秋二遍の勅使の御代拝ということは戦後もずっと続いてきたことであり、本質的、基本的には変わらないんじゃないか ――宮内庁次長、1979年5月 参議院・内閣委員会
天皇ご自身は足を運ばれない。けれど、お使いは、年に二度、今も参向している。

つまり、靖国神社との関わりは「参拝するか、しないか」の二択では説明できないのです。直接行かないことと、関係を断つことは、同じではありません。
なお、この勅使の差遣が憲法上どう位置づけられるかは、当時の国会でも論点になりました。宮内庁次長は、天皇の行為には国事行為・公的行為・私的行為の三つがあるとしたうえで、神社への参拝は「私的なお立場において御行動になる」ものだと説明しています。この三分類は、今も天皇の活動を考えるときの土台です。
天皇と総理は、憲法上の立場が違う
ここで、当然の疑問が出てきます。天皇が参拝されないのに、総理は参拝してよいのか。
この問いには、前提の確認が要ります。天皇と内閣総理大臣は、憲法上まったく違う立場だからです。
天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。 ――日本国憲法 第4条第1項
天皇は日本国および日本国民統合の象徴であり、国政に関する権能を持ちません。政治的な争点から距離を置く立場です。天皇は政治を語らないのかという記事で見たとおり、この抑制は長い時間をかけて形づくられてきました。
一方、内閣総理大臣は行政権を担う内閣の首長であり、選挙を通じて政治的な責任を負う政治家です。
ですから、「天皇が参拝されないのだから総理も参拝できない」とは言えません。立場が違うのですから、同じ物差しは当てられません。
逆もまた同じです。 「政治家なのだから宗教的な行為を自由にしてよい」とも言えません。公職にある人には、第20条第3項という制約がかかります。
二つを混ぜないこと。 それが、この問題を落ち着いて考える出発点だと思います。
筆者の考え
ここからは、筆者の考えです。
8月15日の遥拝について、筆者は、よく考えられた形だったと受け止めています。
靖国神社をめぐる議論は、長いあいだ「参拝するか、しないか」の二択で語られてきました。この連載で見たとおり、そこには宗教・法律・外交・国内政治という性質の違う論点が絡み合い、どの選択肢も別の壁に突き当たります。参拝すれば外交問題になり、参拝しなければ追悼のあり方が問われる。
遥拝は、そのどちらでもない形でした。境内に入らず、公費も動かさず、神社の側に受け取る相手も置かない。それでいて、戦没者を悼む意思は示される。
この形を選んだことで、議論の重心が動きます。従来の靖国参拝をめぐる論点 ―― 公費支出、公人としての参拝、外交上の反応 ―― は、直接には当てはまりにくくなります。
かわって前に出てくるのが、「その人が、どこを向いて、誰を悼んだか」という部分です。これは第19条が守るとした内心の領域に、きわめて近い。この行為を評価しようとすると、人が何を信じ、誰に手を合わせるかという場所に、どうしても踏み込むことになります。
もちろん、公職者の宗教的行為として第20条との関係を論じることはできます。そこは開かれています。ただ、論じる足場が変わったことは確かだと思います。
そして、この記事でもう一つ書きたかったのは、勅使のことです。
天皇の親拝が途絶えて半世紀近くになります。その事実だけを見れば、皇室は靖国神社から離れたように見えるかもしれません。けれど実際には、春と秋、年に二度、今もお使いが参向し続けています。1979年の国会で宮内庁次長が「慣例として続いてきている」と述べたその慣例は、今も切れていません。
行くか、行かないか。それだけが関わり方ではない。
遠くから拝む形もあれば、使いを立てる形もある。靖国神社をめぐる話を「参拝したか、しなかったか」で採点していると、この幅が見えなくなります。遥拝という言葉を一つ知るだけで、見える景色が変わる――筆者は、そう感じています。
まとめ
- 2026年8月15日、高市総理は全国戦没者追悼式の開会直前、日本武道館の駐車場から靖国神社の方向に向かって二拝二拍手一拝を行った。総理周辺はこれを「遥拝」と説明している。
- 直接参拝は見送られ、自民党の鈴木俊一幹事長を通じて党総裁として私費で玉串料が納められた。
- 遥拝とは、遠く離れた場所からその方角に向かって拝むこと。参拝との違いは、身体がどこにあるかである。
- 🔴 直接参拝・玉串料奉納・遥拝は、別の行為。とくに遥拝は、境内に入らず、費用も発生せず、神社の側に受け取る相手がいない。
- 憲法第19条は思想・良心の自由を、第20条は信教の自由と、国及びその機関の宗教的活動の禁止を定める。遥拝なら憲法上の問題が生じない、ということではないが、論点の重心は内心の自由の側に寄る。
- 昭和天皇は戦後8度親拝され、最後は1975年(昭和50年)11月。以後、天皇ご自身の御親拝は行われていない(上皇陛下・今上陛下も同様)。
- 🔴 一方、春秋の例大祭には、天皇陛下の勅使が今も参向している。 靖國神社の公表資料にも、1979年の宮内庁次長答弁(「戦後もずっと続いてきた」)にも記されている。
- 天皇と総理は憲法上の立場が違う。「天皇が参拝しないから総理も」とも、「政治家だから自由に」とも言えない。
- 靖国神社との関わりは、「参拝するか、しないか」だけでは説明できない。
参考・出典
- 高市首相、靖国神社を遥拝 玉串料奉納、参拝は見送り(2026年8月15日)|時事通信 ―― 8月15日の行動と、玉串料奉納の経緯
- 高市首相は靖国神社の方向へ「遥拝」 全国戦没者追悼式の開会前|毎日新聞 ―― 日本武道館駐車場での「二拝二拍手一拝」
- 祭事のご案内|靖國神社 ―― 春季例大祭(4月21〜23日)・秋季例大祭(10月17〜19日)に「天皇陛下のお遣いである勅使が参向され、陛下よりの供え物(御幣物〈ごへいもつ〉)を献じ、御祭文〈ごさいもん〉を奏上されます」
- 第87回国会 参議院 内閣委員会(1979年5月22日)|国会会議録検索システム ―― 宮内庁次長「靖国神社の春季例祭、勅使御差遣になっております」「春秋二遍の勅使の御代拝ということは戦後もずっと続いてきた」。天皇の行為を国事行為・公的行為・私的行為に分ける説明も
- 第104回国会 衆議院 予算委員会第一分科会(1986年3月6日)|国会会議録検索システム ―― 「天皇が戦後も八回靖国神社へ御参拝……おいでになっている」(一回はお一人、七回は皇后陛下とご一緒)
- 第217回国会 衆議院 厚生労働委員会(2025年3月26日)|国会会議録検索システム ―― 「御親拝した最後は昭和五十年、一九七五年。以来、御親拝は途絶えております」
- 日本国憲法|e-Gov法令検索 ―― 第4条(天皇の権能)、第19条(思想及び良心の自由)、第20条(信教の自由・政教分離)
- ※ 最後の御親拝を「1975年11月21日」とする記述が見られますが、日付までを一次資料で確認できていないため、本記事では「1975年11月」としています。



